じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 ツイッター経由で、『打ち込んで遊ぼう!新幹線電光掲示板β』というサイトがあることを知った。本物の新幹線の車内で、思い通りに電光掲示板を操作しているような気分になれる。
 小学生が漢字を覚えたり、短い文章を作ったりする動機づけ教材としても使えそうだ。

2022年5月29日(日)



【連載】チコちゃんに叱られる!『悲しいと涙が出る理由』

 5月27日に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この回は、
  1. 悲しいと涙が出るのはなぜ?
  2. 納豆にからしがついているのはなぜ?
  3. デジタル体重計で重さがはかれるのはなぜ?
という3つの疑問が取り上げられた。本日はこのうち1.について考察する。

 悲しいと涙が出る仕組みについては、放送では「泣くことは究極のリラクゼーションだから」と説明された。
 涙研究の第一人者の有田秀穂先生(東邦大学名誉教授)によれば、涙を流すことには2つの働きがある。
  • 目を保護する涙:目の表面を乾燥から守ったり、ゴミが入った時や強い光を見た時のように目そのものが強い刺激を受けた時に出る。
  • 感情の涙:悔し涙、嬉し涙、怒りの涙、哀しみの涙など、感情が揺さぶられた時に出る。
有田先生の以前の実験によれば、悲しい時の心拍数は増加するが、号泣が始まる直前から低下が生じ、泣き続けることで下がり続けていくという。号泣前は交感神経が優位だったのに対して、号泣後は副交感神経が優位になったことを示している。要するに、泣き出すと脳と体がリラックスした状態に切り替わったということである。
 例えば、ドラマを視ている時には、感動的な場面では共感脳が興奮して、交感神経が優位となり脳の血流が増加する。すると、脳は強くストレスを感じて、これを抑えるために瞬時に副交感神経の働きを強めて優位にする。この時、優位になった副交感神経が、上唾液核を経由して涙腺を刺激し、涙が出る。泣いている間は副交感神経優位が続き、リラックス状態が保たれるという。
 副交感神経を優位にするには、マッサージや入浴などの方法があるが、これらはあくまでも体の外からの作用によるもの。いっぽう、泣くことは自分自身でリラックスできるという点で「究極のリラックス」と言える。さらに、ゆっくりとリラックスしていく睡眠と異なり、泣くことには緊張やストレスを数秒で落ち着かせるという即効性があり、この点でも「究極」と言える。
 なお、この放送のディレクターのように、感動的な場面を視ても滅多に泣かない人がいる。泣けるようになるためには、ペットを飼うとか、人形と共に生活する、というように幸せホルモン(放送では何のホルモンかは明示されていなかったがおそらくオキシトシンのこと)を出やすくする工夫が必要であるという。ということでディレクターが大阪弁で喋る女の子の人間と一緒に生活する実験を行ったが、その後にアニメ『フランダースの犬』最終回の悲しい場面を見ても涙が出るまでには至らなかった。

 ここからは私の感想・考察になるが、放送された内容では、「涙を流す→リラクゼーション」というのは、行動とその結果を示すものなのか、それとも、副交感神経が優位になった時の共通の結果として「泣く」と「リラクゼーション」が生じるのか、不明確なところがあったように思う。もし前者であるなら、涙を流すというのはオペラント行動であり、リラクゼーションという結果によって強化される可能性があるが、実際はどうみてもレスポンデント行動(=何かの刺激や興奮状態に誘発されて泣く)であることから前者の可能性は低いように思う。
 であるとするならば、後者のように、涙を流したからリラクゼーション状態になるのではなく、副交感神経が優位になった時に、結果として涙が出ると考えるべきであろう。出演者の影山優佳さんは(日向坂46)が「感情をつかさどる脳の領域が、涙腺とかを動かす脳の領域と近くて、脳が勘違いするから(涙が出る)」と回答しておられ誤答であるとされたが、けっこう正しい内容を含んでいたようにも思われた。

 有田先生の説明にもあったように、感情の涙は、優位になった副交感神経が、上唾液核を経由して涙腺を刺激した結果として涙が出る。こちらの記事によれば、上唾液核は、顔面神経(中間神経)に支配されるということなので、おそらく感情を表出する顔面神経の働きに連動している。ヒトは、集団生活を武器に進化してきたため、自身の感情を表出したり、他者の感情を読み取ることに長けている。その副産物として、感情の涙が出るようになったのではないだろうか。

 涙を流して泣くという現象は、赤ちゃんや小さな子どもでしばしば見られるいっぽう、発達とともに減少し、大人になると滅多なことでは泣かなくなる。赤ちゃんや小さな子どもがよく泣くのは、何かが満たされていなかったり、体のどこかに異状があったりした時に、言葉でそれを伝えることができないためであろう。つまり、泣くという行為は子どもにとって適応的な意義があると言えよう。いっぽう、大人になるにつれて、文化的なプレッシャーもあって、感情の表出は抑えられるようになる。涙もろい人ばかりでなく、すぐに笑いこける人、すぐに怒り出す人などは仲間はずれにされる恐れがあり、人々は我慢を強いられるようになる。もちろん生理学的にも、副交感神経が優位になっても涙腺が刺激されにくくなっていくものと思われる。

 なお、ヒト以外の動物でも、泣き声を出したりする動物はいるが、涙を流して泣くことはない(ウミガメは産卵中に涙を流すが泣いているわけではない)。顔面筋を使ってコミュニケーションをとるように進化していないためであろう。

 ということで、放送で正解とされた「泣くことは究極のリラクゼーションだから」という説明は、副交感神経が優位のもとで生じた「涙」と「リラクゼーション」という2つの結果を、「涙が出たからリラクゼーション」という因果関係に取り違えているように思えてならない。

 次回に続く。