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8月19日の19時30分から19時50分頃、岡山市内の少なくとも3箇所で花火が打ち上げられた。遠方ではあったがビル越しに眺めることができた。2箇所同時というのは初めて。
山陽新聞記事によると、このサプライズ花火は、20日開幕した「おかやま桃太郎まつり」を盛り上げ、新型コロナウイルス禍の地域を元気付けようと、岡山青年会議所が行ったものであり、岡山市内10カ所で同時に打ち上げられた。打ち上げ場所は、児島湖花回廊(同市南区築港栄町)や笹ケ瀬川河川敷(同市北区今保)、旭川河川敷(同市中区平井)、同市東区東平島地区などで計1万1千発。 ちなみに、岡山県内では、20日、新たに4399人の感染と4人の死亡が発表されている。岡山県内で1日に発表された新たな陽性者数としては過去最多。県内での感染確認は、のべ19万6847人となった。岡山市では毎月、路線バス・路面電車の運賃無料DAYが実施されており、次回は8月28日にあたるが、このような感染状況ではとても出かけようという気にはなれない。 |
【連載】チコちゃんに叱られる!「海水浴と海水浴場の起源」 8月19日に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この回は、
まず1.の「海水浴」であるが、放送では「じゅんさんが頑張ったから」と説明された。「じゅんさん」というのは、幕末から明治にかけて活躍した医師、松本順(松本良順)のことであり、その努力や働きかけによって、夏に海水浴に行くという習慣が日本に根付いたとのことであった。 松本順は、幕末から明治に西洋医学を広めた医師であり、徳川家の主治医、明治以降は初代の陸軍軍医総監であった。松本は、病気を予防するために、「牛乳は体によい!」、「力をつけるなら肉!」といった健康法とともに海水浴を推奨した。海水浴は18世紀頃のイギリスで健康法として知られており、
ここからは私の感想・考察になるが、ウィキペディアによれば、海水浴の風習自体はすでに平安時代の和歌や文献にも記されており、松本順の尽力で普及したとは断定できないように思われた。一部を抜粋引用させていただくと、 日本でも健康や療養のために海水に入る風習があったことが、平安時代から江戸時代にかけての和歌や文献に記されている。これらは潮湯治(塩湯治)や潮浴み、塩湯浴み(しほゆあみ)と呼ばれた。幕末の開国で欧米人が持ち込んだ西洋風の海水浴と相まって、明治時代にも受け継がれた。などとなっており、岡山の沙美海水浴場などは「日本最古と言われる海水浴場」と紹介されていた。 もちろん、松本順による大磯海水浴場のプロモーションが大きな影響を与えたことは確かだと思われるが、大磯が評判となったことで全国に海水浴場が開設されるようになったというわけではなさそうだ。松本の宣伝によって、もともとあった海水浴場が賑わうようになり、さらにその連鎖反応で各地に海水浴場が作られるようになった、と考えるべきであろう。 なお放送でも、「同じこと西洋医学を学んだほかの医師たちも、海につかる海岸を兵庫・愛知・三重に開設したが、そのなかで「海水浴場」という名称をつけたのは松本順が最初であったという。要するに「海水浴」という言葉は松本以前からあったが、「場」をつけて「海水浴場」という施設を本格的に開設したのは松本が最初であったということか。ちなみに、松本順は、1907年3月12日、大磯の邸宅において心臓病のため75歳で亡くなっている。 次回に続く。 |