じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 3月18日は深夜からの雨が朝には止み、夕方の西の空に金星と木星を眺めることができた【写真左】。また翌3月19日の朝には南東の空に月齢26.6の細い月が輝いていた。月と金星は3月24日には大接近し、九州では金星食の一部を観測することができるという。残念ながら岡山では菜種梅雨の影響で「曇のち雨」と予報されており、金星食直前の接近の様子を眺めることはできそうにもない。
 なお、国立天文台天文情報センターは、金星食や火星の様子などを石垣島天文台 からライブ配信する予定であるという。配信URLはこちら

2023年3月19日(日)



【連載】チコちゃんに叱られる! 『懐石料理』『バンザイの由来』

 3月17日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
  1. 懐石料理の石ってなに?
  2. おめでたいときに「バンザイ」と言うのはなぜ?
  3. なぜおじさんのくしゃみはうるさい?
という3つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.と2.について考察する。

 まず1.の懐石料理の石であるが、放送では「お坊さんがおなかを温めた石」が由来であるとされた。懐石料理は約400年前に始まったが、当時のお坊さんは1日1食、一汁三菜が基本であった。お坊さんたちは空腹を和らげるために温石を懐に入れており、このことが懐石料理の「懐石」の由来となった。懐石料理を高貴な人たちの食べ物にしたのは千利休であった。空腹の状態で濃い茶を飲むと胃の中を刺激してお腹を壊すと信じられていたことから、お茶を飲む前の軽食として懐石料理が提供された。なお同じ発音の「会席料理」は武士がお酒を楽しむための料理であり、懐石料理とはいろいろな点で異なっている。念のため三省堂国語辞典でチェックしたところ、
  • 懐石料理:「懐石」【茶の湯で、茶を出す前に食べる、簡単な料理。茶懐石。】ふうに作り、決まった順序で出す高級な日本料理。ごはん・汁(シル)物が最初で、最後に こい茶を出す。
  • 会席料理:@宴会(エンカイ)などで、決まった順序で出す日本料理。ごはん・汁(シル)物が最後。A宴会などで、あらかじめ お膳(ゼン)にのせて、席に出しておく日本料理。会席膳。
というような説明があった。放送ではこのほか、お皿の色合いにも違いがあり、懐石料理ではシンプルな白いお皿などが用いられるという。

 ここからは私の感想・考察になるが、私自身は本格的な懐石料理を食べたことが殆ど無い。一度、京懐石を味わったことがあるが、リンク先では「懐石」と「会席」の両方が使われていて区別されていないように見える。




 次に「バンザイ」の由来であるが、これについては少なくとも3つの観点から考察する必要があるように思う。
  1. 「万歳」という言葉の起源。
  2. 「万歳」を「バンザイ」と発音するようになった由来。
  3. おめでたい場面で両手を上げて「バンザイ」を三唱するようになった由来。
 このうち1.については放送では特に説明が無かったが、中国語に「万歳」という言葉があることは間違い無い。じっさい、北京・天安門前には簡体字、「中華人民共和国万歳」と「世界人民大団結万歳」という大きなスローガンが掲げられている。またウィキペディア、特に中国語版で、中国大陸、台湾、朝鮮半島、ベトナムなどで「万歳」に相当する言葉がどのように使われていることが紹介されている。

 2.の「万歳をバンザイ」と読むことの由来については、今回の放送で紹介されたように、1889年2月の大日本帝国憲法発布のお祝いの際に皇居から出てくる天皇に向けて発する言葉を依頼された帝国大学教授の外山正一の判断によるものであるようだ。「万歳」は、「バンゼイ」や「マンザイ」とも発音されるが、「バ」と「ザ」に力が入れやすく母音の「ア」が明るい印象を与える「バンザイ」になったとのことである。なお、当初、候補に挙げられていた「奉賀(ほうが)」は、大きな声では聞こえにくくいほか、繰り返すと「奉賀」の語尾の「あ」とつぎの「ほうが」が続いて「阿呆が」に聞こえてしまうために採用されなかったというのは興味深い。

 3.のバンザイ三唱の件だが、天皇に向けて当初提案されていたのは「万歳、万歳、万々歳」であったが、皇居から出てきた馬車の馬が最初の「万歳」の大声に驚いて止まってしまたため、2回目の「万歳」は小声になり、3回目は誰も口に出さなかったことに由来するという。また両手を上げる動作の由来については諸説あるが、その1つとして、帽子をかぶったままだと失礼になるので帽子をかかげる動作になったという説があると紹介された。このほかウィキペディアには所作についての種々のエピソードや、『万歳三唱令』なる偽書についての記述があった。

 なお、中国語版の「万歳」の項目には「万歳は天皇とは関係のない他の場面でも使われ、例えば1883年の日本の自由人権運動では、誰かが「自由万歳」と叫んだ。」という記述があり、これが正しければ大日本帝国憲法発布以前にも使われていた可能性があるが根拠は不明。1883年は高田事件が起こった年と思われるが、「自由万歳」と叫ばれていたという記述は見当たらなかった。

 いずれにせよ、「万歳」が「奉賀」以外の意味で定着し、戦後になっても様々なお祝いの場、衆議院解散の議場などで行われている経緯についてはもう少し詳しく調べる必要があるように思う。

 あくまで私見であるが、めでたい場で「バンザイ」が使われることに影響を与えたのは、唱歌『桃太郎』ではないかという気もする。歌詞の6番は「バンバンザイバンバンザイ おとものいぬやさるキジは いさんでくるまをエンヤラヤ」となっていて「万々歳」が使われている。なおこの唱歌は1911年に登場したというが、歌詞の意外性や残酷性から現在では歌詞が改変されたり、後半部を削除したりする場合が多い。桃太郎は岡山県が誇る英雄であるゆえ岡山県民の私としては批判を差し控えたいところもあるが、桃太郎の話というのは本質的には他国への侵略と変わらず、鬼ヶ島の住民を虐殺して財産を分捕ったという話のようにも解釈できる。ウィキペディアには福澤諭吉が「悪行をなす鬼を懲罰する桃太郎は正しくとも、(世のために)鬼が所持する宝を強奪した桃太郎は「卑劣千万」であると非難する」と批判しているとの記述もあり、また「ボクのお父さんは、桃太郎というやつに殺されました」という広告も話題になった。

 私自身、あるいは子どもたちや孫たちの経験を探ってみると、どうやら、両手を上げてバンザイをするというのは、運動会で勝った時が最初であるように思われる。玉入れで赤組が勝つと、幼稚園の先生が「赤組さん、バンザイをしましょう」と言って、何だか分からない子どもも皆に合わせてバンザイをする。このことから「めでたい時にはバンザイをする」という習慣が刷り込まれていった可能性が高い。その後、入試に合格した時とか、栄転祝いなどでバンザイをしたことがあるが、いずれも本来の「万歳」とは違った意味となっているようである。

 次回に続く。