じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 ウォーキングの途中、津山から岡山に向かう『SAKU美SAKU楽』を目撃した。こちらの情報によれば、2023年4月〜9月の土・日曜、3月31日、4月7日、5月3日〜5日は、
  • 10:50 岡山駅発→12:28 津山駅着
  • 12:58 津山駅発→14:30 岡山駅着
という形で単独車両で運行されているようだ。このほか4月9日までの金、土、日には連結で『SAKU美SAKU楽 夜桜号』が運転されている。

2023年4月2日(日)



【連載】チコちゃんに叱られる!『クレーンの謎』『泡が出るハンドソープ』『野球監督のユニフォーム』『選手兼監督』

 3月31日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
  1. ビル建設現場のクレーンがずっとテッペンに居続けられるのはなぜ?
  2. 液体が出るハンドソープと泡が出るハンドソープ なにが違う?
  3. 野球の監督だけがユニフォームを着るのはなぜ?
という3つの話題が取り上げられた。全体にイージーな内容であった。

 まず1.の高層ビル建設に使うクレーンについての疑問であるが、放送では「クレーンが自分でよじ登っていくから」と説明された。
  • 高いビルの建設ではまず30m〜40mの高さまでビルを作り、タワー本体を最上階に固定。
  • クレーンの柱であるマストを少しずつ引き上げる。クレーンの土台が最上階の下のフロアまでたどりつくと土台を固定。
  • 本体部分がマストが伸びた分上昇。
  • こうして尺取り虫のように「作っては上がる』を繰り返すことでどんなに高い建物でも上がっていくことができる。この方式は「フロアクライミング方式」と呼ばれる。
  • もう1つ、マストを継ぎ足していく「マストクライミング方式」という方法もある。ビルの敷地が狭い場合は「フロアクライミング方式」、ビルの側面にクレーンを建てる場所がある場合には「マストクライミング方式」が使われるらしい。東京スカイツリーは「フロアクライミング方式」であった。
 私自身は、子どもの頃に東京タワーの建設を目撃したことがあった。建設方法はこちらに詳しく記されている。

 なお、ビルが完成したあとの大型クレーンの撤収については、まず中型クレーンを別に組み立てて大型クレーンの部品を下ろし、続いて小クレーンを組み立てて中型クレーンの部品を下ろし、最後は小型クレーンの部品を台車で運びエレベーターで下ろすという手順をとると説明された。高層ビルを解体する場合には屋上にクレーンを設置するわけにはいかないだろうから、もっと別の工法がとられるものと思われる。敷地が広ければ爆破で済むだろうが。




 2.のハンドソープについては、放送では「網がついているかどうか」であると説明された。泡が出るソープの容器のポンプには、直径7ミリの網が取り付けられている。1つの網目は約0.08mmと細かい。ポンプには空気室があり、ポンプを押した時に液状のソープと混じって多数のシャボン玉が作られ泡となって出てくる仕組みとなっているという。




 3.は、サッカー、ラグビー、バスケットボールなどの監督はユニフォームを着ていないのに、なぜ野球監督だけがユニフォームを着用しているのかという疑問であった。これについては私はすぐに監督兼選手だったことのある野村克也さんのことが浮かんだので「野球のルールでは選手が監督を兼任できるから」であると思っていた。放送では「もともと選手が監督だったから」と説明されており、私の解答でほぼ正解であった。
 放送によれば、野球の前身である「タウンボール」では監督も選手として出場しており、その時にユニフォームを着用していたことが現在まで引き継がれているらしい。但し、野球の発展とともに監督の役割が増え、選手が兼任することは殆ど無くなった。
 もっとも大リーグの公式ルールブックには監督がユニフォームを着なければならないとは書かれておらず、フィラデルフィア・アスレチックスのコニー・マック監督は自分の信念に基づいてスーツ姿だった。ま、野球は主として夏場に行われるため、スーツ着用では熱中症になってしまう恐れがあるだろう。
 Bingに

野球で選手兼監督をつとめた人としては野村克也さんが有名ですが、他にも選手兼監督をつとめた人はいますか?

と質問したところ、
野球で選手兼監督をつとめた人としては、野村克也さんの他にも多くの有名な方がいます。例えば、王貞治さんや星野仙一さん、古田敦也さん、栗山英樹さんなどが挙げられます。
という回答をいただいた。すべてが正確かどうかは分からないがウィキペディアに挙げられている、藤村富美男さん、古田敦也さんはよく知られているようだ。

 さらに、

甲子園大会出場の高校野球でも選手兼監督をつとめた人はいますか?

と質問したところ、
高校野球の甲子園大会で選手兼監督をつとめた人については、私が見つけた情報では、元プロ野球選手の池田・蔦文也監督(元東急)が86年春に優勝した際に選手兼監督をつとめたことがあるようです。また、97年夏には中谷仁監督(元ヤクルト)が選手兼監督をつとめ、優勝しています1。ただし、この情報が完全かどうかはわかりません。ご参考までに。
という回答をいただいたがこれはかなりあやしい。但し地方大会レベルでは、選手自身が監督をつとめている高校はあったように思う。
 サッカーについては、ウィキペディアによれば、
日本のサッカーでは、日本サッカーリーグ (JSL) 時代に釜本邦茂がヤンマーで選手兼任監督をしていた例があるが、日本プロサッカーリーグ (Jリーグ) では、Jリーグ規約第109条に「トップチームの監督およびコーチは、選手として登録することはできない」と明記があり、監督・コーチと選手を兼任することが出来ないため、選手兼任監督並びに選手兼任コーチは存在せず、チーム事情から現役復帰する場合は、事実上兼任する場合であっても、形式上コーチ登録を解除する。
という記述があった。釜本選手のことは私も覚えているが、監督兼任の際にはユニフォームを着用していたはず。
 また大相撲でもかつて、栃錦が春日野親方を兼任していた(二枚鑑札)ことがあったが、それ以降は実現していないという。