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近郊のレンゲ畑。最近はあまり見かけなくなった。いまが見頃。 |
【連載】ヒューマニエンス『アート』(3)美と醜は両立するか? 昨日に続いて、3月28日に初回放送された、NHK『ヒューマニエンス』、 ●“アート” 壮大な“嘘”が教えてくれるもの についてのメモと感想。 昨日の日記に述べたように、放送では、川畑秀明さんの、
ここでいったん脇道に逸れるが、この「醜いもの」に対する反応は、行動分析学でいう「嫌子消失の随伴性(逃避の随伴性)」による強化に対応しているように思われた。昨日の日記で、
放送のほうでは、上記の「醜いもの」からのつながりで、「美しさ」と「醜さ」は両立するのか?という興味深い話題に発展した。例えば、フランシス・ベーコンの『ベラスケスによるインノケンティウス10世の肖像画後の習作』(1953)のように、アートでは「美しいけれど醜い」というような作品もある。川畑さんは、これは「美しい」と「醜い」それぞれに反応する脳の部位が異なるためであり、脳内で同居できるためであると説明された。 放送では順序が前後するが、次のAIの話題が取り上げられた後で、猪子寿之さんから、「結果的に歴史に残るようなアートというのは、美を拡張した作品。それは今「美」ではないものを「美」にしてしまう行為」というコメントがあった。おそらく「醜」から「美」が生まれたり、「醜」そのものが1つの芸術になるというのも、こうした脳の仕組みが働いているためであるかもしれない。 次回に続く。 |