じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 近郊のレンゲ畑。最近はあまり見かけなくなった。いまが見頃。



2023年4月29日(土)



【連載】ヒューマニエンス『アート』(3)美と醜は両立するか?

 昨日に続いて、3月28日に初回放送された、NHK『ヒューマニエンス』、

“アート” 壮大な“嘘”が教えてくれるもの

についてのメモと感想。

 昨日の日記に述べたように、放送では、川畑秀明さんの、
  • 報酬系には眼窩前頭皮質とは別に線条体がある。
  • 線条体のほうでも快楽の報酬を受け取るが、絵画や彫刻を見て美しいと思っても線条体はあまり活動しない。
  • 眼窩前頭皮質は私たちの文化的・社会的な価値、「私たちにとって“いいもの”」が受容されている。
  • 眼窩前頭皮質で得られる快感は、ニコチンなどによってもたらされる線条体で得られる快感とは異なり依存性はない。
といった研究が紹介されていたが、川畑さんの研究ではもう1つ、「醜いもの」に対しては運動野が活性化されることも指摘されていた。これは、私たちが嫌なものや嫌いなものから遠ざかりたいという反応につながるようである。

 ここでいったん脇道に逸れるが、この「醜いもの」に対する反応は、行動分析学でいう「嫌子消失の随伴性(逃避の随伴性)」による強化に対応しているように思われた。昨日の日記で、
  • 線条体活性化:嫌子消失の随伴性 【空腹やニコチン欠乏といった状態の消失】
  • 眼窩前頭皮質活性化:好子出現の随伴性 【平穏な状態で、好子が出現】
というように区別できる可能性を指摘したが、今回の「嫌子消失の随伴性」を含めて、行動分析学でいう強化の随伴性と脳内での活動の対応関係がいっそう明らかになってきたように思われる。

 放送のほうでは、上記の「醜いもの」からのつながりで、「美しさ」と「醜さ」は両立するのか?という興味深い話題に発展した。例えば、フランシス・ベーコンの『ベラスケスによるインノケンティウス10世の肖像画後の習作』(1953)のように、アートでは「美しいけれど醜い」というような作品もある。川畑さんは、これは「美しい」と「醜い」それぞれに反応する脳の部位が異なるためであり、脳内で同居できるためであると説明された。

 放送では順序が前後するが、次のAIの話題が取り上げられた後で、猪子寿之さんから、「結果的に歴史に残るようなアートというのは、美を拡張した作品。それは今「美」ではないものを「美」にしてしまう行為」というコメントがあった。おそらく「醜」から「美」が生まれたり、「醜」そのものが1つの芸術になるというのも、こうした脳の仕組みが働いているためであるかもしれない。

 次回に続く。