じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 今回の旅行の往路では、関空からの便がインチョン空港に12時45分着、インチョンからアルマトィに向かう便が18時05分発となっていて、乗り継ぎが5時間20分待ちとなった。待ち合い席のテレビのうち少なくとも1台ではNHKの国際版でちょうど大相撲の中継を放送しており【写真上】、搭乗待ちの退屈をしのぐことができた。
 写真下はインチョン空港内の男性用トイレ。各便器の間が半透明板で仕切られていた。大便用のほうは温水洗浄シャワーつき。中東の一部の空港では清掃作業員が常駐していてトイレの利用者にチップを要求する行為が横行していたが【←但し、昨年9月に乗り継ぎで利用したドバイ空港ではそのようなことは無かった】、インチョンではそのようなこともなく快適にトイレを利用することができた。


2023年6月3日(土)



【連載】ブラタモリ「京都・東寺」(2)

 昨日に続いて、5月13日に初回放送されたNHKブラタモリ

●#233 「京都・東寺〜東寺は京都のシンボル!?〜

のメモと感想。

 放送では『史蹟 西寺趾(しせき さいじあと)』や『西国街道』に続いて、東寺の西250メートルほど離れたところにある『御土居(おどい)』の跡が紹介された。御土居は1591年、豊臣秀吉によって京都を囲むように造られた土塁であり、市内各所にそのあとを示す盛り上がった地形が残っているようである。
 京都に御土居があったという話は、何回目の放送であったかは忘れてしまったが、以前にもブラタモリで取り上げられたことがある。ネットで検索したところ、こちらこちらには、御土居巡りに役立ちそうな情報があった。もっとも今回紹介された南端の御土居は、住宅地にわずかにかまぼこ型に盛り上がった地形が残るだけで、場所を教えて貰わない限りは気づくことは不可能であると思われた。
 東寺は御土居の最南端に囲まれており、秀吉は東寺の西側に『東寺口』という洛中への入口を造った。御土居の堀は今は大部分が暗渠になっているがその上の石敷の道をたどっていくと『羅城門遺址』に辿り着く。もっとも御土居の堀が造られたことでかつての羅城門は跡形もなくなり、現在の発掘調査でもその痕跡は見つかっていないという。しかし、江戸時代の絵図には東寺の南大門が『らせう門』と記されており、こうして東寺は都の入口として定着することになった。

 放送ではもう1つ、テレビの2時間ドラマのザ・京都のカットとしてよく使われる撮影ポイントが紹介された。これは京都駅の西にある建物であり、放送では名前は出されなかったが、『リーガロイヤルホテル 京都』の回転展望レストランであると推定された。東寺を背景に新幹線が行き来するというシーンであり、サスペンスドラマで「京都の現場にやってきた」ことを示す効果があるようだ。私は当該のドラマを視たことが無いので何とも言えないが、確かに五重塔と新幹線が写っていることで、「京都に来た」を示唆することにはなると思われる。もっともこの映像では、右方向は京都駅から離れる新大阪方面の列車であるし、左方向は新大阪方面から京都駅に向かう列車であるため、東京駅から京都駅までやってきたというシーンには使えないはずだ。

 余談だがタモリさんは1945年8月22日生まれで77歳。私よりは7歳年上ということだが、頭脳明晰で地質学への造詣も深い。身長は161cmということで私と同じ。いろんな意味で、私自身の老後のお手本になる。
 なお今回改めてウィキペディアを閲覧したところ、「小学3年生のとき、下校途中に電柱のワイヤに顔をぶつけ、針金の結び目が右目に突き刺さって失明。2ヶ月休学して治療したものの、視力は戻らなかった。」という記述があり、右目が義眼であることを初めて知った。右目に義眼を入れていた有名人としてはピーター・フォークもおられるが、眼帯をかけて歩き回ってみるとわかるように、単眼視だけで視野が狭まり両眼視差を利用した距離感が得られないため、日常生活を送るのはかなり大変であるようにも思える。しかし、タモリさんもピーター・フォークも全くその素振りを見せないというのはスゴいことだと思う。

 次回に続く。