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今回の旅行の往路では、関空からインチョンの間で1回、インチョンからアルマトィの間で2回の機内食が提供された。私にとってはアシアナ航空の機内食は比較的口に合っている。時間的にもこの日の昼食と夕食の時間に一致していた【写真の時刻は日本時間(韓国も時差無し)】。 |
【連載】ブラタモリ「京都・山科」(1)逢坂峠、旧東海道の車石 昨日に続いて、NHKブラタモリの話題。本日は、5月20日初回放送の、 ●#233 「京都・山科〜要衝・山科は何を生んだ?〜 を取り上げる。 6月2日の日記にも述べたように、私は京都には学部・大学院・研修員時代に15年間暮らしたことがあるが、日常の行動範囲はもっぱら左京区・北区・上京区に限られていた。山科を観光したのはずっと後になってからのことであり、過去日記を参照したところ、 の4回きりであることが確認できた。当然、今回の放送で紹介されたようなマニアックなスポットは一度も訪れていない。 この放送は、タモリさんと野口アナが琵琶湖疏水沿いを歩き、途中の疏水沿いの公園から湖西線・東海道本線越しに市街地を展望するシーンで始まった。このことでふと思い出したが、ブラタモリではかつて琵琶湖疏水を取り上げたことがあった。ウィキペディアの放送日程によると、これはパイロット版であり、初回放送は2015年1月6日となっていた【同年3月27日には「完全版」が放送されている】。但し、「NHK公式では番組の第1回を「長崎 ?"坂の町・長崎" の始まりとは??」(2015年4月11日放送)としており、2008年12月14日放送のパイロット版「表参道」から2015年1月6日放送のパイロット版「京都」までを除外している。この期間に放送されたものは原則再放送されない。」となっている。なおレギュラー版の中でも、京都・東山や比叡山などの回で京都市東部の地形についての解説があったと記憶している。 放送では続いて山科盆地の北東部、大津市との境にある逢坂山関址が紹介された。この関所は蝉丸の和歌にも詠われている通り、古くから交通の要衝となっていた。かつての平安京の時代には、東日本からの東海道、東山道、北陸道がすべてここで合流。さらに、琵琶湖kと当時の巨椋池、さらに淀川を結ぶ水運ルートにおいても要衝となっていた。逢坂峠は難所と言われているが実は直線距離で約300メートルに過ぎず、歩いてすぐに通ることができる。地形図で確認すると、このあたりは南北の高まりによるストレスから小さな断層が複数あって地盤が弱くなっており川の流れにより谷が形成された。 山科が要衝であることによって生まれたものとして、半円形の凹みが彫られた石が紹介された。三条方面に向かう府道143号から旧東海道に左折した先の民家各所で石垣として再利用されているが、かつては牛車が通るための車石であり、江戸時代後期には京都−大津間の専用道12kmの大部分に敷かれていたという【それ以外にもあったらしい】。凹みは人工的に彫られたものではなく、轍のように自然にできたものらしい【Googleのストリートビューでもかろうじて石の一部を見つけることができる】。 次回に続く。 |