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今回の旅行ではカスピ海沿いの町、アクタウに宿泊した。写真上はアクタウの展望台から眺めるカスピ海。 カスピ海は小学校の頃からぜひ一度は訪れたいと思っていた。その理由は、海のような大きな湖が大陸の真ん中にあるということを実感したいというだけであった。 初めてカスピ海を眺めたのは2005年ダマバンド山登山を終えたあとのことであった。 その後2013年にトルクメニスタンで2回目。そして今回が3回目となったが、これで人生最後となるだろう。 なおカスピ海は地理学上は「世界最大の湖」であるが、ウィキペディアによれば、「2018年8月12日に関係5か国の代表がカザフスタンに集まり締結されたカスピ海の法的地位に関する協定では、カスピ海を「海」と認定して領海協定で扱うことで合意し、沿岸から15海里を領海とし、その外側10海里を含めた25海里に排他的漁業権を設定。海底資源の開発は当事国の同意によるとしたほか、沿岸5カ国以外の軍隊がカスピ海に入ることを認めないと定めた」という。 |
【連載】ブラタモリ「屋久島と種子島」(2) 昨日に続いてNHK「ブラタモリの、
放送では屋久島の高さをもたらした地形を知るために標高250mほどの展望台に移動し、千尋の滝(センピロノタキ)周辺の花崗岩の岩盤を見学した。ちなみに花崗岩は島のおよそ7割を占めているという。 昨日も述べたように、屋久島の高さは花崗岩の固まりの隆起によってもたらされた。またその高さによって暖かく湿った空気が山にぶつかって雲を形成する。実は屋久島は日本一雨が多い場所であり、山岳地帯の降水量は年間8000ミリにも達する。屋久杉は標高1000m以上の冷涼な気候と多雨によって成長している。 続いて放送では、屋久杉が生育する標高1000m前後の地点に移動した。固有名詞は出されなかったがどうやら屋久杉ランドの一部の遊歩道を周遊したものと思われる。
放送の後半では屋久杉がもたらした人々の暮らしが紹介された。こちらの撮影地は屋久杉自然館であったようだ。屋久杉自然館には100年ほど前から使われていた木材運搬用トロッコが展示されている。トロッコは、山を登る時はディーゼル機関車でひっぱり、木材を載せて下る時はブレーキ操作だけで自力走行するという。屋久島は1920年に国有林となり1970年頃までは国の事業として大規模な伐採が行われていた。トロッコの軌道は全長約16km、橋24、トンネル16となっていて、1923年に莫大な予算と人員をかけて僅か1年半で建設された。現在ではその一部は板が敷かれ遊歩道になっている。これだけのお金がかけられたのは屋久杉が高級な建築材として価値があったため。昭和30年代で1本300万円ぐらい、今の物価に換算すると4000万〜5000万にもなるという。屋久杉の切り出しのため山腹には小杉谷や石塚といった集落が形成され1960年には540人が暮らしていた。トロッコは通学にも利用されていたという。山で暮らす人たちが買物や娯楽のために下りてくることで、トロッコの終点にあたる安房(あんぼう)も賑わった。現在では安房は屋久杉観光や登山客で賑わっており、昔も今も屋久杉の恩恵を受けていると説明された。 番組の終わりのところでは、屋久杉の価値を見出した先人として、泊如竹(とまりじょちく)が紹介された。泊如竹は薩摩藩に対して、お米の代わりに屋久杉の板を年貢で納めることを提案した。2310枚の板で米1俵分の価値があったという(『屋久島手形所規模長』、1728年)。屋久杉は関西方面に送られ高級建材として重宝された。一例として京都・高山寺の石水院の床板がある。泊如竹により屋久島の人々は貧しさから救われた。 屋久島の回の内容は以上であった。全体として屋久杉がメインテーマであり、島の成り立ち、屋久杉が生育できるワケ、人々の関わりが分かりやすく紹介された。 前回も述べたように、私自身は屋久島を一度も訪れたことがなく、また今後もその予定はない。もっとも以前訪れたタスマニアで、屋久杉に似たような原生林や巨木を見たことがあり、ま、私の人生経験としてはこれで十分、と妥協しておくことにしたい。 なお屋久杉に関しては2017年初回放送の ●大捜索ドキュメント! 屋久島“伝説の超巨大杉” さらに、2020年9月初回放送の ●捜索4年! 屋久島“伝説の超巨大杉”完全版 を視聴したことがあった。巨大杉は目立つはずなので全島で捜索し尽くされているように思ったが、人が入ることが難しい地域はまだまだ残っており、また空からの捜索だけでは見つからない幹周りの大きな木が存在する可能性が残っていたようだ。もっとも上掲の「完全版」をもって捜索はほぼ完了し、巨木ランキングはほぼ確定したように思われる。 次回に続く。 |