じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 建物内で見かけたクチバスズメ。灯火に誘われたものと思われる。なお、夜、昆虫が光に集まる理由については2019年7月12日放送の『チコちゃんに叱られる!』で取り上げられたことがあった。放送では「お月様と勘違いしているから」と説明されたがこれはかなり疑わしい。より専門的な解説がこちらにあり。

2023年7月6日(木)




【連載】映像の世紀バタフライエフェクト『ビートルズの革命』(5)放送禁止、ヒッピー、ディーン・リード

 昨日に続いて、NHK総合『映像の世紀バタフライエフェクト』で放送された、

●【2023年6月19日初回放送】ビートルズの革命 青の時代 そしてルーシーは宇宙を行く のメモと感想。

 前回記したように、8カ月にわたる休養から復帰したビートルズの音楽は、インド音楽、クラシック、シュールレアリズムなど古今東西の文化を取り入れた芸術に進化していたと紹介された。しかし、そのいっぽう、世間からは厳しい目を向けられるようになり、単なる好き嫌いばかりでなく、公的機関からも規制がかけられるようになった。
 注目曲の1つ『A Dai In The Life』は歌詞の中の「I'd love to turn you on(君のスイッチを入れたい、君を魅了する)」という部分で「turn on you」がドラッグの使用を促している隠語ではないかと疑われBBCで放送禁止となった。また『Lucy in the Sky with Diamonds』はタイトルの頭文字が「LSD」を示しているという疑いをかけられた。インタビューでジョン・レノンは『Lucy in the Sky with Diamonds』がジョンの息子が描いた絵に由来しているとしてこれを否定した。しかし、1967年6月のアルバム制作時、4人はじっさいに違法なLSDを使用していた。別のインタビューでもポールがそのことを認めている。
 当時、アメリカ西海岸ではヒッピーが出現しており、ビートルズやドラッグに喝采を送っていた。1967年8月7日、ジョージ・ハリスンはヒッピームーヴメントの中心、サンフランシスコを訪れたが、ジョージの期待とは全く異なり、ヒッピーたちはアルコール依存症みたいなもので何かの中毒と変わらず、芸術的な生き方ではないことに気づかされた。1969年12月6日に行われたローリング・ストーンズのフリーコンサートはドラッグ使用者であふれかえり刺殺事件も起こった。ヒッピーに対する世間の目は厳しくなり、ベトナム戦争が終わる頃にはヒッピー・ムーヴメントは消え去っていった。
 1967年8月、マネージャーのブライアン・エプスタインが睡眠薬の過剰摂取により死亡。その後、自立を模索した4人は1967年12月5日にアパレルショップ『アップル・ブティック』を開業、さらに1968年5月には『アップル社』を設立した。

 上記の『アップル』から初めて発売されたのが『The Beatles (White Album)』(1968年11月22日)というアルバムであったが、その中には『Back In THe U.S.S.R.』が含まれていた。政治的なテーマを避けるように伝えていたエプスタインが亡くなった後の新たな動きであった。放送ではこの曲との繋がりで、当時のソ連において西側のロックが禁じられており厳しい取締や、ソ連国営テレビでは反ビートルズ・プロパガンダが行われていたことなどが紹介された。しかしこうしたプロパガンダは逆にソ連の若者たちをビートルズに引きつけることとなった。病院で廃棄されたレントゲン写真フィルムにビートルズの曲を刻んだ『ろっ骨レコード』が数百万枚もの規模で売り買いされた。いっぽう西側でもソ連にも届く短波放送にビートルズを出演させた。ソ連側もディーン・リードという共産主義者の歌手を見つけてスーパースターに仕立てようとしたが焼け石に水だった。ソ連ではエレキギターを自分で作ろうとする若者が現れた。その部品には公衆電話の音の増幅装置が使えるということから公衆電話が破壊される事件が勃発した。また紙を伸ばす若者も増えた。見つかると強制的に丸刈りにされることもあったという。




 ここでいったん私の感想を述べさせていただくが、上掲のヒッピーが出現したのは私が中高生の頃であり、新宿界隈で見かけたことがあった。もっとも、日本のヒッピーは『フーテン』とも呼ばれており、同時代に活発となっていたベトナム反戦運動や全共闘運動と連動することは無かったように記憶している。違法薬物の取締が厳しい日本では、ドラッグの使用もそれほど多くなかったのではないか【←現代でも、アメリカではドラッグ、あるいは合法的な鎮静剤の濫用による死亡が数多く発生しているようだ】。

 ディーン・リードについては今回の放送で初めて知った。リンク先によれば、共産主義諸国では最も売れた演奏家として知られているという。リードは1986年6月13日、東ドイツのツォイテナー湖で遺体で発見された。47歳。公式には事故による溺死とされているが、自殺説もあるという。

 次回に続く。