じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



07月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る



クリックで全体表示。

 半田山植物園で見つけたキイトトンボ(たぶんオス)。キイトトンボを直接見たのはこれが初めてかもしれない。なお7月27日には、裏山で今年初めてミンミンゼミが鳴いているのを確認した。このほか数日前に、睡蓮池でチョウトンボがつがいで舞っているのを目撃したが、メスが産卵をしている時に突然水中に引きずり込まれてそのまま姿を消してしまった。おそらくカエルに食われてしまったものと思われる。

2023年7月28日(金)



【連載】笑わない数学(4)四色問題(4)ケイリー、三枝地図、オイラーの多面体定理

 昨日に続いて、笑わない数学の#3『四色問題』についての感想・考察。

 昨日の日記までのところでは、四色問題は公式には、1852年にフランシス・ガスリーが発案し、ド・モルガンによって定式化され、1879年にケンプが「証明」を発表したことで数学の問題として広く知れ渡ったとされているようである、と述べた。この経緯は放送では簡略化して紹介されており、
  1. 1852年のロンドンで、ある若者が「どんな地図でも4色で塗り分けることができそうだ」ということに気づいた。
  2. その話を聞いたイギリスを代表する数学者の一人、オーガスタス・ド・モルガン(1806-1871)は、このことを数学的に厳密に証明しようとした。
  3. しかしド・モルガンは証明に大苦戦。彼が学者仲間にこの問題を投げかけたことで四色問題は世に広まっていった。
  4. その後多くの数学者が挑戦したが誰も証明には到達できず時間だけが流れていった。
  5. 1879年、アルフレッド・ケンプが論文を発表した。ケンプはありとあらゆる地図を国の数で分類することから始めた。少ないほうから1カ国、2カ国、3カ国、4カ国の地図は4色で塗り分けられることは自明。ケンプはさらにnカ国までが塗り分けOK!なら次の箱も自動的にOK!となる方法さえ見つければ四色問題は解決すると考えた。
  6. ケンプは「どんな地図でも、二辺国、三辺国、四辺国、五辺国と呼ばれる国が必ず1つ含まれる。【どんな地図にも、二辺国、三辺国、四辺国、五辺国のどれか1つは存在している。】」ということに注目してこの解決に取り組んだ。
となっていた。

 こうした経緯についてはYouTubeの解説動画:

【ゆっくり解説】こんなに単純な問題がなぜ100年以上数学者たちを悩ませたのか−四色問題

により詳しく解説されていた【参考文献はこちら】。それによれば、
  • 1852年、ロンドンで数学教授をやっていた、オーガスタス・ド・モルガンは、アイルランドの著名な数学者、ウィリアム・ローワン・ハミルトン卿へ、四色問題に関して「きょう私は学生からとある話を聞きました。...しかし私にはそれが正しいのかどうか判断できません。あなたはどう思いますか?」というような手紙を書いた。
  • 四色問題は印刷物でも取り上げられたこともあったが、ド・モルガンが1871年に死去したことであまり研究されなくなった。
  • それからしばらくして、イギリスの数学者、アーサー・ケイリーがこの問題に目をつけた。1878年、ケイリーはロンドン数学会で四色問題についての質問を投げかけ、この問題を解決することは無駄ではないだろうと説明した。これにより四色問題は多くの数学者へ知れ渡ることとなった。
  • ケイリーは数学的帰納法によって証明する方法に辿り着いた。しかし、nカ国の地図にn+1カ国目を追加して4色で塗り分けられることを示すのは難しい。例えばドーナツ状の円グラフのような領域がすでに4色で塗り分けられていた場合、中心にもう1カ国を追加するとそのままでは5色目が必要になってしまう。そうならないようにするには一般的な塗り替えの方法を見つける必要がある。
  • ケイリーの数学的帰納法によるアプローチは失敗に終わったが、重要な考察を行った。その代表的なものとして、ケイリーは「四色問題を証明するためには『三枝地図(みつえだちず)』(地図のすべての交点が3本の線とつながっている地図)の場合のみを考えればいいことを証明した。
  • 1879年、ロンドンの弁護士でありアマチュア数学者でもあったアルフレッド・ケンプが論文を発表。ケンプは『最小反例』という考え方を利用して証明を行った。
となっており、放送ではハミルトンやケイリー、さらには『三枝地図』や『最小反例』には全く言及されていなかった。放送時間に制限があったとはいえ、こうしたことがカットされたことで、放送内容だけではちゃんと理解することが難しくなってしまったようにも思われる。7月25日にも述べたが、動画時間が23分46秒となっていて30分番組の『笑わない数学』より短いにもかかわらず、動画の方がより詳しい情報を提供されており、しかも解説者と聞き手の掛け合いで分かりやすく解説されているという点は興味深い。
 なお、動画ではハミルトンはド・モルガンから手紙を受け取っただけで何もしていないように思ってしまうが、ウィキペディアのアーサー・ケイリーの項目に
25歳の時にロンドンのリンカン法曹学院に入り譲渡契約を専門とした。ただし数学を捨てず、司法試験の受験生だったにもかかわらず、ハミルトンの四元数の講義を聴くためにダブリンへ行くなどしている。その後に弁護士になり、活動中の14年間に約250の数学論文を書いた。
という記述があり、ケイリーはハミルトンから影響を受けて四色問題に取り組んだ可能性があるように思われた。

 ここからは私の感想・考察になるが、『三枝地図』のみを扱えばよいという前提は「すべての地図には少なくとも1つ五辺国以下の国が存在する」という証明に不可欠であるように思う。私が視聴した範囲では、放送ではこの前提には言及されておらず、放送を聴いただけではそのことを理解するのは困難と思われる。
 三枝地図の重要な点は、面の数をnとすると、
  1. 国の数はn-1 【n-1カ国のほかそれらを囲む外側の面も1つとして数えるため】
  2. 交点の数は 3(n-1)
になるということだ。そうすると、オイラーの定理:

(頂点の数)-(辺の数)+(面の数)=2

を変形して

(辺の数)=(頂点の数)+(面の数)-2

となることから辺の数、つまり国境の数の合計が計算できる。
 例えば、101カ国の地図があった場合、頂点の数は300、面の数は100となるので、国境の合計数は300+100-2であり398となる。もし、五辺国以下の国が1つも無かったとすると、国境の合計数は398を超えることになり矛盾する、よって背理法により少なくとも1つ以上は五辺国以下の国が存在することが証明できる。
 なおオイラーの定理はもともと多面体の定理であったため、平面に適用するには多面体の面の1つを取り除いて押し広げるという操作を行う必要がある。そのため、(頂点の数)-(辺の数)+(面の数)=2を平面に適用すると(頂点の数)-(辺の数)+(面の数)=1というように1つ減ることになるか、もしくは外側の領域を1つの面と考える必要がある。オイラーの定理は大ざっぱには以下のように証明できる。

どのような多面体展開図も、面を1つずつ取り除いていくと最後は三角形になる。頂点3,辺3,面1(外側を含めれば面2)となる。いかなる展開図もそこから逆の操作により復元可能であるが、その場合、(頂点の数)-(辺の数)+(面の数)=2という関係は変わらない。

 次回に続く。