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岡山では7月25日から28日まで4日連続の猛暑日となった。27日と28日は最高気温がいずれも37.2℃に達する中、夕刻には発達した積乱雲が出現したが、時折稲光も見えていたが、雨は全く降らなかった。 |
【連載】チコちゃんに叱られる!「アイスクリームのコーン」「ウナギのヌルヌル」 7月28日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
まず1.のアイスクリームのコーンについては、放送では「アイスクリーム屋さんの器がなくなったとき隣にワッフル屋さんがいたから。」が正解であると説明された。コーンが発明される前、アイスクリームはガラスの容器で食べるのが一般的であった。容器は返却されて再利用されていたが未返却になることもあった。 1904年アメリカ・ミズーリ州のセントルイス万国博覧会で暑い日はアイスクリームが飛ぶように売れたが来場者が多く容器が足りなくなった。アイスクリームの隣でワッフルを売っていたアーネスト・A・ハムウィが巻いたワッフルをアイスクリームの器にすることを思いついた。この商品は万国の来場者の間で話題になった。万博終了後、ハムウィはコーンを製造する機械を開発し『ミズーリコーンカンパニー』を設立した。これにより、1人あたりのアイスクリーム年間消費量は、1900年には1クォート(約950ミリリットル)であったものが1915年には4クォート(約3800ミリリットル)に伸びた。アメリカで発行された「後世に影響を及ぼす出来事」が描かれた記念切手」にはこのコーンにのったアイスクリームを食べる子どもが描かれているという。 ここからは私の感想・考察になるが、ウィキペディアには、
このWeb日記で何度も指摘しているように、「○○はなぜ今使われているのか?」という疑問に答えるには、「○○はどうやって誕生したのか?」という由来を調べただけでは不十分。由来がどうであったとしても、今の世の中で役に立たなくなれば廃れてしまう。逆に今の世の中でもしっかり地位を占めているとしたら、それを支える別の原因をちゃんと指摘する必要がある。 今の世の中でもアイスクリームのコーンが使われている理由として考えられるのは、
次の2.のウナギのヌルヌルについては、放送では「負け組が滝を登るときにも必要だから」が正解であると説明された。 脇谷量子郎さん(東京大学大気海洋研究所特任准教授)によれば、ウナギのヌルヌルはムチンというたんぱく質の一種であり、なめこ、オクラ、山芋にもある。ムチンの一番の役割は体を守ることにある。ウナギは岩の隙間や砂利の中に潜り込んで生活しているが、ヌルヌルによって傷つかないようにできている。 ヌルヌルはさらに滝を登る時にも役立つ。ウナギの仔魚・レプトセファルスは約k2500km離れたマリアナ諸島西側の海から日本にやってくる。放送では多摩川下流を例としてその後のウナギの成育が説明された。それによれば、下流で暮らすウナギのほうが成熟するスピードがはやい。しかし下流は一等地であるもののその分ライバルが多く競争が激しい。競争に負けたウナギは3〜4年は下流で暮らしたあと、敵が少ない上流を目ざして滝を登る。滝登りといっても滝の本流ではなく、水流の脇にある湿った岩の上をよじ登る。これができるのは、ウナギが陸上ではヌルヌルを通して酸素を取り入れる皮膚呼吸もできるためである。じっさいウナギは12時間も陸上で生活することができるという。中には46mの滝を登ったウナギもいた【静岡新聞2020年8月27日付、共同通信配信)。 しかしダムの壁は登ることができないため、上流に向かうことができず死んでしまうこともある。ダムの建設によりウナギの生息域も狭まっている。2013年に絶滅危惧種に指定されことで、ウナギの食文化は養殖で保たれている。 ここからは私の感想・考察になるが、そう言えば「うなぎ上り」という言葉があることを思い出した。こちらには、
もとの話題に戻るが、ウナギが皮膚呼吸できるというのは、魚が陸上に進出する上の1つのきっかけを作ったようにも思われる。もっとも、両生類は、海水魚からではなく、淡水魚から派生して誕生した動物群であると考えられており、じっさい、両生類の体は塩分に対する耐性が低いという。ウナギから陸生動物に進化したのは『ウナギイヌ』ぐらいのものか。但し、ウナギイヌはウナギの突然変異ではなく、父親が犬、母親がウナギという混血であると想定されている。 次回に続く。 |