Copyright(C)長谷川芳典 |
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8月3日の朝はよく晴れて、西の空には満月の翌日にあたる月齢16.1の月が輝いていた。私のデジカメでは夜の月は撮ろうとしても明るすぎてぼやけてしまうが、日の出直後の月は青空の明るさのコントラストが少なく、比較的はっきりと撮ることができる。 |
【小さな話題】映画『地下鉄に乗って』の謎解けるがまた新たな謎発生 8月2日の日記に、前日にNHK-BSPで放送された、 ●『地下鉄に乗って』(メトロにのって) の感想を述べた。その際、お時の経営するバー『Amour』で、みち子が真次に、 強い人よ。母みたいにはなれないって反発していた。自分を捨てた人を思い続けて、ママに死ぬまで会おうとしなかった。でもね、笑っちゃうんだけど、私そっくりなの。母のようにしか生きられなくって。と語っていた意味がよく分からないと述べた。謎を放置することは精神衛生上よくないので、何度も録画を再生して聞き直した結果、当該のセリフは、 強い人よ。母みたいにはなれないってちょっと反発してた。自分を捨てた人を思い続けて、なのに死ぬまで会おうとしなかった。でもね、笑っちゃうんだけど、私そっくりなの。母のようにしか生きられなくて。であることが分かった。なので“「母」、「ママ」、「私」の関係がよく分からなかった”というのは私の聞き間違いであり、セリフの中には「ママ」は出てこなかったのである。 言い訳になるが、日本語の会話は主語を省略して喋ることが多いため、文脈を取り違えたり一部を聞き違えたりすると意味が分からなくなる。試しに元の会話をDeepLに翻訳してもらったところ、 He's a strong man. He was a little rebellious, saying he couldn't be like my mother. I kept thinking about the person who abandoned me, and yet I wouldn't see her until she died. But you know what, it's funny, but he's just like me. I could only live like my mother.となり、この英文を再び日本語に戻すと、 彼は強い人よ。母のようにはなれないと、少し反抗的だった。私を捨てた人なのに、死ぬまで会えないと思い続けていた。でもね、おかしな話だけど、彼は私と同じなの。母のようにしか生きられなかった。というように全く違った意味になってしまう。ChatGPTにも訳してもらったが、やはり意味が取り違えられていた。 "Strong person, you know, I used to rebel a bit, saying I couldn't become like my mother. I kept thinking about the person who abandoned me, yet I never tried to meet them until they passed away. But you know, it's funny, I'm just like them. I can only live my life just like my mother."では、どのように喋れば、取り違えは無くなるのか? 以下に改善例を示す。 【あそこに立っている女性は1964年当時の私の母で】強い人よ。【私は子どもの時からあの】母みたいにはなれないってちょっと反発してた。【母は】自分を捨てた人を思い続けて、なのに【母自身が】死ぬまで会おうとしなかった。でもね、笑っちゃうんだけど、私【母に】そっくりなの。母のように【愛人として】しか生きられなくて。 ところで鑑賞力・推理力に乏しくかつ失顔症の傾向のある私には、映画を一度観たときには気づかなかったことが他にもあった。
さてこれで、バー『アムール』でのみち子のセリフの謎は解決したが、代わって大きな謎となって来たのが、 ●みち子はなぜ、お時のお腹の中の胎児を流産させることで自分を消してしまったのか? ということであった。これまた、鑑賞力・推理力に乏しい私にはよく分からないところがあった。また、これに関連して、 ●みち子は、どの時点で、自分と真次が異母きょうだいであることを知ったのか? という疑問がある。 1回目に観た時は、みち子は、バー『アムール』に後から入ってきた小沢佐吉がお時に「この子をみち子と名づけよう」と喋ったことで初めてそれに気づいたのではないかと思っていたが、初めて気づいたのは真次であり、みち子のほうはもっと前からその事実に気づいていたようである。これは、
じっさい、バー『アムール』で小沢佐吉がお時に「この子をみち子と名づけよう」と喋った時にも、みち子はそのことには驚かなかった。それよりも「私のこと、私が生まれてくること、喜んでくれてた!」ということに感動しているような表情であった。 以上はあくまで映画だけを観た上での解釈なので、原作を読めばまた考えが変わってくるかもしれないが、他の映画同様、原作で描きたかったことと映画で描きたかったことは必ずしも同一にはならない。 あと、これは、本質的なことではないが、タイムスリップのパラドックスとして、 ●胎児が流産した時点で、みち子はこの世界には存在しえなくなる。なのでそのみち子が流産に関与することは不可能。 という謎が残る。ま、これはお約束としてそっとしておくべきかもしれないが。 なお、映画に出てくる石段のロケ地についてBingに尋ねたところ、 映画『地下鉄に乗って』に出てくる石段のロケ地は、東京都渋谷区の神南坂です。映画の主人公・長谷部真次(堤真一)が、過去にタイムスリップしたときに出会う少年・みち子(岡本綾)と一緒に歩くシーンで登場します。この石段は、昭和39年の東京オリンピックの雰囲気を再現するために、特別にセットを組んで撮影されました。という回答をいただいた。みち子がなぜ少年なのかは不明。また神南坂について検索したが、そのような石段はどうやら存在しないようであった。再度Bingに尋ねたところ、今度は芝公園であると回答された。現時点では、よく分からない。 |