じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 12月15日の「チコちゃんに叱られる!」の声優は、いつもの木村祐一さんではなく天野ひろゆきさんが代理をつとめた。木村さんと天野さんの声はどちらも成人男性の声を5歳の女の子ふうに機械的に加工した音声ではあったが、それでも語彙や抑揚には違いがあり少々違和感があった。天野さんの代行出演については、放送では木村さんがインフルエンザに罹ったというような説明がちょこっとあった。


2023年12月17日(日)




【連載】チコちゃんに叱られる! 「道路標識の人はなぜ帽子をかぶっている」「ジャンボの由来」

12月15日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
  1. なぜ道路標識の人は帽子をかぶっている?
  2. 大きいものをジャンボと言うのはなぜ?
  3. サケが生まれた川に戻ってこられるのはなぜ?
という3つの話題が取り上げられた。但し、3.は2022年11月12日の再放送であり、実質的には2つの話題のみであった。なお2.のジャンボの由来も以前に聞いたことがあったような気がするが過去日記を検索した限りでは見つけることができなかった。おそらく、別の雑学系バラエティ番組で取り上げられたものだろう。

 さて1.の道路標識の人が帽子をかぶっている謎だが、もう少し詳しく言えば、

●トイレのマークや非常口のデザインの「人」と異なり、横断歩道、通行止め、歩行者専用などの道路標識のデザインで「人」がみな帽子をかぶっているのはなぜか?

ということになる。その理由については、放送では「ヨーロッパの人だから」が正解であると説明された。
 日本の道路標識のデザインは1964年の東京オリンピックを前に1963年に全面的に作りかえられた。このことは当時小学校高学年だった私もはっきり覚えており、何かの印刷物で新旧の対照表のようなものを見たことがあった。放送でも言及されたが、それまでの標識はかんじなどの文字が多く、外国人がすぐに理解できるものではなかった。そこでヨーロッパ発の国連標識を参考に新標識が誕生した。ヨーロッパでは言語の異なる国が隣接しているため、早くから言葉に頼らない共通の標識が広まりやすい状況にあった。

 ではなぜ、国連標識では帽子をかぶっている男の人が採用されたのか? これにはヨーロッパでの挿絵文化が影響しているという。
  • 印刷技術の発展に伴い、印刷物には、例えばゴルフをする人は背広にハンチング帽というように、特徴を強調した挿絵が使われるようになった。
  • 1900年代のヨーロッパでは外出するときに皆帽子をかぶっていたことから標識で歩行者を表す帽子をかぶった人が描かれた。
という経緯で、現行の道路標識に描かれる「人」は、1900年代の男性のファッションに由来しているようであった。このWeb日記にも何度か書いたことがあるが、日本でも1950年代頃までは、男性は帽子をかぶる習慣があった。長谷川家の昔のアルバムに祖父と祖母が旅行先で撮影した写真が何枚かあるが、明治生まれの祖父は旅行中でもちゃんと帽子をかぶり、三つ揃いの服を着て移動をしていた。当時はまだ舗装されていない道路が多く砂埃が多かったことから、帽子の着用にはポマードを塗った髪を埃から守るというそれなりの実用的価値があったのではないかと思われる(同じ理由で、郊外から出勤してきた人の靴は泥で汚れるため、靴磨きの商売が繁盛していた)。放送の中でも映像が紹介されていたが、1964年東京オリンピックの入場行進では日本の選手団はみな帽子をかぶっていた。帽子をかぶる男性がいつ頃から減っていったのかはよく分からない。

 さて、道路標識はヨーロッパ由来であったが、ヨーロッパのマネばかりしていたわけではなかった。1964年東京オリンピックは世界で初めてアルファベット以外の文字を使用する国での開催となった大会であった。そこで単純な絵で情報を伝えるピクトグラムが考えられた。全競技をピクトグラムで案内し世界から称賛された。これを機にピクトグラムは世界に広がった。非常口のピクトグラムも日本が考案したデザイン。ピクトグラムが世界に広がった理由の1つは、11人のデザイナーが社会に還元しようと著作権を放棄したことにあるという。

 ところで、日本の歩行者専用の標識は体がフニャフニャで女の子が嫌がっているように見える。女の子のリボンが仮面ライダーのように見えるとか、大人の男性が女の子を誘拐しているように見えるといった声があるらしい。そのため、タイでは大人1人、ドイツではお母さんと子どものデザインに変更されている。フニャフニャの理由は国連標識の元画像が小さくそれを引き伸ばしてコピーして使っていたために画像が歪んだという可能性があるが真相は不明。自動車専用の図柄は細かく決められているのに対し歩行者専用の標識は身長と横幅以外決められていないらしい。なお私自身には日本の標識の男性はスカートをはいた女性のようにも見える。今の世の中では、標識でも男女を平等に描くべきだという意見があるようだが、日本の標識の大人をもう少し加工すれば、男女どちらにも見える体格になるのではないかと思われた。



 2.の「大きいものをジャンボと呼ぶ理由については、放送では「ジャンボという有名なゾウがいたから」が正解であると説明された。ゾウにジャンボという名前をつけた由来としては、アフリカの精霊マンボジャンボから名前をとった説が有力。このほかスワヒリ語であいさつなどに使われる「ジャンボ」もある。しかしいずれも「大きい」という意味は含まれていないという。
 放送では続いてアフリカ象『ジャンボ』の一生が紹介された
  • ジャンボが生まれたのは1860年頃のスーダン。パリの植物園を経て1865年にロンドン動物園へと移る。ロンドンは16年以上動物園の顔として人々の視線を集めた。また園内では背中に子どもを乗せるイベントも行われた。
  • 1881年12月13日、世界的に有名なアメリカのサーカスショーマンのP・T・バーナムからゾウを譲ってほしいと電報が届いた。当時ジャンボは発情期を迎え、夜になると小屋を破壊するなど時折見せる凶暴な一面が問題視されていた。それゆえ動物園は事故を恐れ売約を決断した。
  • しかしジャンボは移動のための専用の木箱に入ることを拒否し、多くの新聞が連日この話題を報じた。
  • 惜しまれつつもアメリカに渡ったジャンボを一目見ようとサーカスには多くの人が詰めかけ有名に。ジャンボの名前は彼のように「大きなもの」を意味する言葉としても広告などで使用されるようになり定着した。
  • 1885年9月15日、サーカスの公演を終え次の公演のため鉄道に乗ろうとしていたところにやってきた別の列車(機関車)に衝突し、死亡。
  • その後も巨大な飛行機にジャンボジェット機の愛称がつけられるなどその名前は私たちの生活に残り続けている。


 ここからは私の感想・考察になるが、ゾウの「ジャンボ」の一生についてはウィキペディアにもう少し詳しい情報がある。「大きい」という意味での「ジャンボ」は1800年代から使われていたようだが、日本で外来語として定着したのはずっと後になってからではないかと思われる。念のためBingに尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。
「ジャンボ」という言葉が「大きい」という意味で定着した時期については、私が見つけた情報によると、明確な時期は特定されていませんでした1。ただし、国立国語研究所が2002年から2004年にかけて行った「外来語定着度調査」によると、「ジャンボ」は認知率が高く、理解率も高い外来語の一つであることがわかりました1。この調査は、全国の16歳以上の男女2,000人を対象にして個別面接調査を行い、外来語の認知度、理解度、使用度を求めたものです1。以上の情報から、「ジャンボ」が「大きい」という意味で定着した時期は不明ですが、広く認知されている外来語の一つであることがわかりました1。

(1) 外来語定着度調査 - 国立国語研究所. https://mmsrv.ninjal.ac.jp/gairaigo_yoron/.
(2) 外来語定着度調査の結果(五十音順) - 国立国語研究所. https://mmsrv.ninjal.ac.jp/gairaigo_yoron/index_gojuuon.html.
(3) 外来語とどう付き合うか. https://mukogawa.repo.nii.ac.jp/record/1478/files/19.pdf.
 私自身の記憶では、「ジャンボ」を耳にした時期は、「ジャンボジェット機」、「ジャンボ尾崎」、「ジャンボ宝くじ」が登場した頃であり、子どもの頃は「ジャンボ」がこれ以外の言葉で使われた例は耳にした記憶がない。ちなみに、『ジャンボ尾崎』はプロゴルファーだということしか知らない。ジャンボ宝くじも、宝くじには興味が無いため一度も買ったことがない。ジャンボジェット機はこれまで2回だけ登場したことがあり、うち1回は旅行会社のサービスで、エコノミークラスの運賃でビジネスクラスの2階席に座ったことがあった。ジャンボ機を最後に見たのは今年5月のカザフスタン旅行の時で、インチョン空港で成田からやってきた特別運航のジャンボ機を目撃した。挨拶言葉としての「ジャンボ」は、確かキリマンジャロ登山の際にすれ違う人たちに挨拶する時に使ったと記憶している。