じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 12月23日の20時頃、三野浄水池近くの旭川中州でサプライズ花火があった。サプライズの花火は何度も行われているが、今回は打ち上げの本数が多く、またいろいろなバリエーションがあった。



2023年12月24日(日)




【連載】ヒューマニエンス「“植物” 支配者は周りを動かす」(3)植物の「コミュニケーション」

 昨日に続いて、12月11日に初回放送された、NHK『ヒューマニエンス』、

「“植物” 支配者は周りを動かす」

についてのメモと感想。

 放送では続いて、

●危機を伝え合う植物のコミュニケーション

という話題が取り上げられた。紹介された実験は、
  • ペットボトルにトマトの葉っぱと芋虫を入れて葉っぱを囓らせる。
  • ペットボトルの口とシロイヌナズナの栽培容器を管でつなぐ。
  • 管が繋がれて数分経つとシロイヌナズナの蛍光が明るくなった。これは、シロイヌナズナがトマトという別種の葉が囓られた時に出る匂いを感じてカルシウムの信号を発生させている瞬間。
というものであった。こうして、匂いをキャッチした植物は昆虫に襲われる前から、消化を妨げる苦味物質を分泌して防御体勢を整えることができる。緑の葉っぱが囓られた時に出てくる匂いは多くの植物で共通しており、危機を伝える共通言語のようになっている、と説明された。その匂いは芝刈りをしたあとの匂いのようなもので人間でも感じることができる。但し、人間は鼻で匂いを感じるが、植物の場合は葉っぱで感じていることが最近の研究で分かっているという。
 植物の中には、自分が食べられている時に、その虫の天敵を呼び寄せるものもあるという。例えば、キャベツの葉ははコナガの幼虫によって囓られるが、そうするとキャベツは匂い物質でコナガの幼虫に寄生するコナガコマユバチを呼び寄せる。

 スタジオではここで、「利己的な生き物」と「利他的な生き物」について意見が交わされた。もし、猛毒の植物があったとすると、自分の葉っぱを囓る幼虫ばかりでなく、花粉を運んでくれる蝶も殺してしまうことになる。けっきょく、完全な利己的生物は自分も滅ぼすことになる。

 ここでいったん私の感想・考察を述べさせていただくが、動物のコミュニケーションに関しては、私自身も、

動物コミュニケーション―行動のしくみから学習の遺伝子まで

という翻訳にかかわったことがあった。ウィキペディアでも解説されているように、
「コミュニケーション」という語は多種多様な用いられ方をしている。一般に「コミュニケーション」というのは、情報の伝達だけが起きれば充分に成立したとは見なされておらず、人間と人間の間で、《意志の疎通》が行われたり、《心や気持ちの通い合い》が行われたり、《互いに理解し合う》ことが起きたりして、はじめてコミュニケーションが成立した、といった説明を補っているものもある。
というように、単なる情報伝達では不十分と見なす考え方もある。但し、動物コミュニケーションに関しては、
生物学の領域では、ある動物の個体の身振りや音声などが同種や異種の他の個体の行動に影響を与え、かつ、それらの信号を送った側の個体に有利になる場合に、個体間で情報が伝えられた、と考えて、そのような情報伝達を「コミュニケーション」と呼ぶということが行われている。
動物のコミュニケーションは種に共通しているが固定的ではなく、発信者の置かれた状況によって柔軟に変化する。またコミュニケーション信号のやりとりは同種間だけでなく異種間でも行われる。
コミュニケーション信号が交換されるとき、それは双方がそのやりとりから利益を受け取っていることを意味する。別種間、特に利害が相反する捕食者と被食者が、コミュニケーションによってどのように利益を得ているかは激しい議論がある。
というようにもう少しゆるい形で定義されており、放送で紹介された「トマトの葉っぱ→シロイヌナズナ」も「コミュニケーション」の一形態であると言えないこともない。
 もっとも、例えば、サメがケガをした人の血の匂いをかぎつけてやってくるという場合、けが人は別段サメとコミュニケーションを取ろうとしているわけではない。単に結果として出血したことがサメの獲物探しの手がかりとして利用されているだけに過ぎない。この文脈で言えば、コナガコマユバチがキャベツが発する匂い物質を手がかりにしてコナガの幼虫にやってくることも同様であり、少なくとも「キャベツがコナガコマユバチに助けを求めた」などという擬人的表現は全く意味をなさないと言えよう。「トマトの葉っぱ→シロイヌナズナ」も同様であり、トマト自身が防御体勢をとるために発した匂い成分がたまたますぐ近くにあった異種の植物に同等の効果を及ぼしたと考えることもできる。
 ということで、放送で紹介された限りの事例からは、植物が影響を及ぼし合う現象は、わざわざ「コミュニケーション」という概念を持ち出さなくても充分に説明できるように思われた。

 次回に続く。