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1月20日は寒さが最も厳しくなる頃とされる大寒であるが、岡山では低気圧の影響で朝の最低気温が6.0℃という異例の暖かさとなった。 気象庁の統計によれば岡山では、
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【連載】チコちゃんに叱られる! 「他の家のニオイ」「『冷たい』の語源と英語表現」 1月19日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この回は、
まず1.の「なぜ人の家のニオイは気になる?」については、放送では「危険を感じるから」が正解であると説明された。ニオイに関する心理学や脳科学を研究している坂井信之さん(東北大学)によれば、他の家などでニオイを感じるのは人間が生き延びるためにとても大事なことになっている。人間はニオイを感じた時、それが自分にとって安全ものなのか危険なものなのかを瞬時に判断する。安全なニオイにいちいち気を取られていると他に危険なニオイがあった時に対応できなくなるため、安全だと分かったニオイへの反応を無くす。これが『馴れ』となる。友だちの家に何度も訪れればその家も安全であることが分かりニオイが気にならなくなる。但し家主が嫌いとか、自分が苦手な動物ペットとして飼われていたような場合はいつまでも気になることがあるという。 ちなみに家のニオイは、住人の汗や体臭、靴、水回り、ペットなどのニオイが複合的に混ざったものになっているという。放送ではソムリエの田崎真也さんと若い女性が、番組スタッフの若い男性2人の家を訪問し、どんなニオイを感じるかという調査が行われた。 ここからは私の感想・考察になるが、確かに自分の家の中、車の中、洗濯物などのニオイは普段は全く気にならない。いっぽう、他の家を訪問すると何かしら異臭を感じることがある。このほか、スーパー、植物園のトイレ、大学構内、生協食堂などでもそれぞれ独特のニオイがあり、それぞれの空気を瓶に詰めて目隠しテストをすればかなり正確に当たるのではないかと思われる。また、外国に旅行すると、空港、ホテル、観光先各所で新奇なニオイに接することがある。 ちなみに、私自身も大学院の頃には味覚や嗅覚に関わる反応について研究したことがあった。新奇なニオイに対しては新奇性恐怖(neophobia)反応が生じるいっぽう、その刺激に何度も晒されれば馴化(habituation)が起こり気にならなくなる。もっとも、イヌなどに比べれば、人間の嗅覚の精度は相当に劣っている。 次の「冷たいことをなぜ「冷たい」と言う?」という疑問は、最初は何を訊きたいのか分からなかったが、言葉の由来に関するものであった。でもって正解は、「爪が痛い」とのことで、確かに「つめたい」と「つめ、いたい」はいずれも大和言葉であり音声的にも似ている。 小木曽智信さん(国立国語研究所)によれば、もともと日本では温度が低いことは「寒い」と表現されていた。万葉集には「夕されば 衣手寒し高松の・・・(夕方になると衣の袖が冷たい)」という歌があり、寒いが使われていたことがわかる。 これをあてはめれば、同様に「寒い水」とか「寒い氷」となるはずであったが、平安時代に氷水に手を入れた人が「爪痛し」と言った人が庶民の間に広まり、それが転じて冷たいに変化した。 痛みと寒さには共通点があり、温度の低さによって感じる痛みが次第に寒さ・触れたものの温度の低さを表す意味として使われるようになった。 「冷たい」が人の態度にも使われるようになったのは江戸時代。花柳界で女性のそっけない態度が寒さ・温度の低さを連想させて、人の態度に対して冷たいという言葉が広く使われるようになった。 なお、皮膚外科医家によると、爪には神経が通っていないため実際には爪が痛いわけではない。爪床(そうしょう)に知覚神経が集中しているため冷えると痛みを感じるという。 ここからは私の感想・考察になるが、まず、「寒い」と「冷たい」の一番の違いは、視点によるものではないかと思われる。「今日は寒いですねえ」とは言えるが、「冷たいですねえ」と言えるのは、自分の体験を語る場合に限られる。この点については真冬のグラウンドで遊んでいた子どもの手を先生が握った時の視点というエピソードが思い出される。 . . . 真冬のグラウンドで遊んでいた自閉症の子どもの手を握った時に、先生が「冷たいねえ」とつぶやいた。その子は、部屋に戻ってストーブに手をかざしたときに、「冷たい、冷たい」とつぶやいていたという。その子にとっては、先生に手を握ってもらった時の「暖かさ」がストーブの「暖かさ」と同じ刺激であったため、暖かさを表現することばとして「冷たい、冷たい」を発したのであろう。 「寒い」と「冷たい」の区別に比べると、「暑い」や「暖かい」の視点は二人称でも一人称でも使われる。一人称に近いのは「熱い」や「温かい」だろうか。熱いお湯に手を入れた時にも「爪痛い」はずだが、温度が低い時だけ「爪痛い」となるのはなぜだろうか? 念のため、日本語のいくつかの温度表現の語源についてBingに調べてもらったところ、以下のような回答をいただいた。 日本語の温度表現「さむい」「つめたい」「すずしい」「あつい」「あたたかい」それぞれの語源を教えてください。 ということで「つめたい」以外の語源は、名詞形が変化したという程度の情報しか得られなかった。 「冷たい」と「寒い」の違いについても尋ねたところ、 「さむい」と「つめたい」の違いは、温度の低さを感じる対象や状況によって異なります。一般的には、「さむい」は気温や季節などの空気の温度の低さを表し、「つめたい」は物体や液体などの触れたときの温度の低さを表します。1 例えば、「今日はさむいですね」と言うときは、外の気温が低いことを意味しますが、「このジュースはつめたいですね」と言うときは、ジュースの温度が低いことを意味します。という回答をいただいた。上にも述べたが、「寒い」は二人称ないしは三人称視点の表現であり、「彼のジョークは寒い」という時はそのジョークの面白さを三人称的に評価していることになる。これに対して「彼女の態度が冷たい」というのは実質的に、私自身への態度についての表現となる。「彼女は誰に対しても冷たい」とも言えるが、その場合も、彼女がそれぞれの人との1対1関係の中で冷たく接しているという意味になる。 もう1つ、英語での区別を尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。 英語では「寒い」と「冷たい」はどのように区別されていますか?リンク先の(5)「冷たいの英語表現」を閲覧したところ、 食べ物、飲み物、空気は冷たいだったら “cool”を使いますけれど態度とか性格の場合は”cold”になります。という説明があった。日本語に比べると「寒い」と「冷たい」は厳格には区別されていないように思われた。 次回に続く。 |