じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 2月4日(日)の夕刻、NHK-BS4Kでカーリング女子日本選手権の決勝を観戦した。これまでカーリングというのは、大きな石を滑らせ、その前をブラシで掃くだけのスポーツのように見えて、何をしているのかサッパリ分からなかった。今回、事前にルールを調べたところ、基本的には「各エンドで得点が認められるのは、ハウス中心の一番近くにストーンを置いたチームだけです。そして、相手チームのストーンより内側にあるストーンの数が得点になります。」というシンプルなものだった。素朴に考えると、得点にかかわる石の配置は、後攻の最後の1投で決まるので、それまでの回はひたすら相手の石を外に押し出せばよいように思われるのだが、そう単純ではないようだ。リンク先によれば、見どころとしては、
カーリングは、最後のストーンを持っている後攻が有利なスポーツです。そして前のエンドで得点したチームが、次のエンドでは先攻になります。
そのため、先行と後攻では攻め方が異なります。
後攻チームが狙うのは、複数点の獲得。
先攻チームは、次のエンドを後攻で迎えるために、相手の得点を1点に抑える方法を考えます。
また試合展開によっては、両チームに得点が入らない「ブランク」に持ち込もうとするケースもあります。そして先攻チームに得点が入ることを「スチール」と呼びます。

 初めて観戦した限りだが、短時間のうちにストーンを投げる向きやスピードを決定し、ブラシで掃く人との連携で目的通りに石を動かしているところがスゴイと思った。ストーンをどの方向からぶつけるとどのように移動していくのかを瞬時に予測できるところもまたスゴイ。
 写真は今回の決勝の最終結果であり、SC軽井沢クラブが2点を獲得し逆転優勝したところ。



2024年2月5日(月)




【連載】チコちゃんに叱られる! マズロー説の限界とそれに代わるもの(2)

 昨日に続いて、2月2日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。引き続き、

おばあちゃんになるとフラダンスを踊り始めるのはなぜ?

の解説に登場した、マズローの『欲求の5段階』説について考察する。昨日も述べたように、放送で解説をされていた長田久雄さんは、高齢者研究の第一人者であり、私と同じ学年でありながら(大学は別)、綺麗サッパリ隠居人生活を始めた私とは違って現役バリバリの活躍をされている。その長田さんが、「もう古い」と批判されることの多いマズローの理論に基づいて解説をされたのは少々意外であった。

 じっさい、マズローは1908年生まれ、1970年没であり、長田さんや私が大学に入学した1971年にはすでにお亡くなりになっており、年代的にも古い。また欲求段階説の問題点については、ウィキペディアでも以下のように指摘されている【一部改変・省略あり】。
  1. マズローの著書にはピラミッド階層についての言及はされていない。
  2. 1960年代から1970年代にかけて、マズローの欲求階層説に対する再現・実証研究が数多く行われたが、ほとんどの研究において、その科学的正当性を証明することはできなかった。
  3. 「すべての人が」「あらゆる場面において」同一の欲求階層をたどるとは限らない、また性差や人種差を考慮すると異なるパターンが現れる、といった報告が相次ぎ、現在の行動科学では専門家がマズロー説を取り扱うことはほぼ皆無となっている。
  4. マズロー説の直感的わかりやすさから、一般社会や組織の管理者の間では未だ人口に膾炙しており、モチベーションの概説には役立つものの、学問的文脈では使用されるべきでないとの見解が大勢を占めている
 このほかこちらの項目においても、
  1. マズローの着想は科学的な厳密さの欠如により多々批判されている。
  2. ひとつはアメリカの経験論哲学者による、科学的に脆弱だというもの。2006年には、Christina Hoff SommersとSally Satelが経験的実証の欠如により、マズローの着想は時代遅れであり「もはやアカデミックな心理学の世界では真面目に取り上げられてはいない」と断言した。
  3. 5段階欲求という図式は、西洋的な価値判断またイデオロギーにバイアスがかかっているとして非難されている。多数の文化心理学者が、この概念を他の文化、社会と関連付けて考慮したところ、一般原理として採用することは到底できないと述べている。
といった点が指摘されている【一部改変・省略あり】。

 ウィキペディアの指摘の中にもあったように、アカデミックな心理学の世界ではマズローはもはや時代遅れとされている。にもかかわらず未だに一部でもてはやされている理由としては、「直感的わかりやすさ」のほか、企業の経営、社員教育に好都合という側面があるのではないかと思われる。例えば、営業部門の責任者がもっとたくさんの契約を取ってこいと部下を叱咤激励することになったとする。その場合、例えば部下それぞれの目標を決めて、達成者を表彰したり、歩合給を増やせば、短期的には成果が上がるかもしれない。しかし、競争環境や「○○を達成しないとクビにするぞ」といった好子消失阻止(もしくは嫌子出現阻止)の随伴性のもとでは、いずれ部下は疲弊し、鬱状態になったり退職したりし、中長期的にみると何も成果が上がらなかったことに気づくはずだ。いっぽう、これに代えて、職場はマズローのいう自己実現の場であると強調し、契約をたくさん取れるように努力することに価値を見出すように教育すれば、少なくとも一部の写真はそのレールに乗ってモーレツに仕事に取り組むことになるかもしれない。

 上掲の批判にもあったが、マズローの説は、西洋的な価値判断またイデオロギーにバイアスがかかっている可能性がある。すべての人が生まれながらにして自己実現を目指すというのはあまりにも一面的である。
  • 下の階層を満たさなければ上の階層に進めないというのも現実にマッチしない。例えば重い病気で苦しんでいたり、日々空襲に脅かされている人であっても、「所属」や「愛」と無縁というわけではない。
  • 文化や文脈によっては、生理的欲求、つまり食事や睡眠を犠牲にしてまで、他者の救済活動に取り組む人もいる。
  • 高齢者に限って言えば、5段階のような階層性があるとすると、高齢者は病気になった途端に最下層まで転落し、二度と這い上がれなくなるのではないか?
といった問題点があるように思う。

 次回に続く。