【連載】チコちゃんに叱られる! 「天狗の由来」「インドカレーとナン」
2月9日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この回は、
- 天狗ってもともと なに?
- なぜ日本のインドカレーにナンがついている?
- なぜ洗濯物は乾く?
という3つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.と2.について考察する。
1.の『天狗』については、放送では正解は「もともと流れ星」であると説明された。
- 天狗は中国の妖怪でその正体は流れ星。
- 古代の中国では流れ星が何なのか解明されていなかった。大きい流れ星はゴーッという衝撃波を発生させそれが犬のほえる声に聞こえたことから天の狗(いぬ)と書いて「天狗」になった。今でも中国や台湾では天狗は犬の姿をした妖怪とされている。中国で魔除けの意味を持った「年画」には天狗が描かれている。天狗は流れ星の音を不吉に感じて生み出した犬の妖怪。
- 奈良時代の日本書紀には、遣隋使の僧侶が流れ星を天狗と言ったと書かれている。しかし当時の日本人は漢字が読めない人が多かったため流れ星イコール天狗という話は定着せず忘れ去られた。
- 平安時代中期になると貴族やお坊さんの間で天狗が復活したが、その姿は犬ではなく時代に合わせて見た目が変化していった。
- 平安時代中期にはキツネ。日本では犬が妖怪になる考え方がなかった。9世紀ごろ中国の影響でキツネが人を化かすと知られた。
- 平安時代後期にはトビ。トビは仏道の修行を妨げる怪物として考えられた。「天狗草紙絵巻」ではお坊さんの口元がくちばしのように描かれていて、欲を捨てられずに死んだお坊さんは天狗になると考えられていた。今でも鼻高々で得意になることを「天狗になる」と表現するが、もともとは欲にまみれた僧侶のことであり鼻の高さは関係が無かった。
- 室町時代の15世紀に『鞍馬天狗』という能の演目が作られた。そのお面は、「鼻高」ではなく「鼻でか」であった。これはトビのくちばしを鼻に見立てたためと考えられている。【大天狗は鼻でか、小天狗はトビ】
- 狩野元信が最初に鼻の高い天狗を描いたという説がある。元信は天狗の絵を描いてくれと頼まれたがどう描いていいか分からなかった。すると夢の中に天狗が現れたのでそのまま描いたら鼻が高かったという。
- この頃天狗は山伏と同一視されるようになり。やがて山を守る神様になると、八大天狗とよばれる天狗も誕生した。
- 江戸時代には最終的には48体の天狗に増えた。なお『秋葉原』という地名は秋葉権現という天狗が由来。
ここからは私の感想・考察になるが、私が初めて『天狗』の絵を見たのは『牛若丸』の絵本だったと思う。その際、小天狗は確かにトビのように描かれていたと記憶している。
『天狗』は「天の」「狗」と書かれるが、「狗」と「犬」はどう違うのだろうか。ネットで検索したところ、こちらのサイトでは、
「犬」との違いは、前述のようにサイズにあります。「犬」が大きさや種類を問わず「イヌ」全般を指すのとは違い、「狗」は主に、小型犬や子犬を指すようになっています。
ただ、古くはこうした使い分けがされていましたが、現在ではほとんどなく、大型も小型も含めて「犬」が使用されるのが通常です。
と説明されていた。このほか、「狗」は、卑しく軽んじる意味が含まれており、悪いイメージの言葉が多いという。
こちらによれば、中国語では「犬」よりも「狗」のほうが一般的であるという。
じっさいDeepLで翻訳してもらったところ、
- 「この犬はとてもかわいい」→「◆只狗非常可愛」 【◆は「文」にしんにょう】
- 「私は猫より犬が好きだ」→「比起猫,我更喜歓狗」
というように「犬」ではなく「狗」が使われていた。【簡体字の一部は日本の漢字に置き換えた】
次の2.の「インドカレーとナン」の話題については、放送では「高橋重雄が早とちりしたからが正解であると説明された。
じっさい、街角でインド出身者にインタビューすると【←やらせ?】、「日本に来て初めてナンを知りました」、「インドの家庭だとチャパティ」といった声が聞かれた。なお、本題に進む前に、ナンとチャパティの違いについてBingに尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。
ナンとチャパティはインドのパンで、見た目は似ていますが、材料や作り方に違いがあります。ここからは、ナンとチャパティの違いを詳しく説明します。
- **ナン (Nan)**:
- **主流**: 日本ではカレーに合わせて食べるパンとして主流です。
- **材料**: 精製小麦粉を使用し、牛乳や砂糖、ヨーグルト、ベーキングパウダーなどを混ぜて作ります。
- **発酵**: 生地を半日程度自然発酵させ、専用の窯(タンドール)で焼きます。
- **特徴**: 表面は焼き色がついていて、中はしっとりとしています。
- **チャパティ (Chapati)**:
- **主流**: インドでは主食として食べられています。
- **材料**: 全粒粉に水と塩を混ぜて作ります。
- **発酵**: 発酵させずに鉄板で焼きます。
- **特徴**: もちもち感が少なく、外側はこんがりパリッとしています。
さらに、ナンがどのような国で食べられているのか尋ねたところ、
**ナン**は、発酵後タンドールで窯焼きされるフラットブレッドで、西アジア、南アジア、中央アジア、東南アジアの一部やカリブ海地域の料理でしばしば供されています123。以下に、いくつかの国でのナンの特徴を紹介します。
- **インド**:
- インドではナンはカレーと一緒に食べられることが一般的です。
- ナンはタンドールで焼かれ、表面は焼き色がついていて、中はしっとりとしています。
- インド料理店でよく提供されますが、日常的に食べられるのは少なく、フラットブレッドの一種である**チャパティ**が主流です。
- **パキスタン**:
- パキスタンでもナンはカレーと一緒に食べられます。
- パキスタンのナンはインドのナンと似ており、タンドールで焼かれます。
- **イラン**:
- ナンは現在のイランを起源とし、その後メソポタミア、古代エジプト、インド亜大陸に伝わったと考えられています?。
- イランではナンは「ナーネ・サンギャク」や「ナーネ・ラヴァーシュ」といった種類があります。
- **ウズベキスタン**:
- ウズベキスタンでもナンは常食となっており、サマルカンドのナンが伝統的に美味しいと言われています。
- ウズベキスタンのナンは、スタンプで模様をつけたり、溶き卵や乳を塗ってつやを出すことがあります。
日本でもインド料理店などでナンが愛されており、カレーと一緒に楽しまれています?。??
という回答をいただいた。私自身は、上記4カ国のほか、エジプト、エチオピアの砂漠、モロッコ、中央アジア各国、中国・新疆などで食べたことがある。
ということで、ナンとチャパティの区別はイマイチはっきりしないように思われるが、ナンの場合はタンドールという専用窯が必須。また、乾燥地域の路上で剥き出しのまま積み重ねて売られているのはナンであると言って良さそうだ。
前置きが長くなったが、放送では、「高橋重雄が早とちりしたからが正解であると説明された。石材店社長の竹田伴康さんによれば、
- 1920年頃、東京・神田川でパン窯の会社が創業。
- その後、電気オーブンが登場しパン窯が売れなくなった。中華鍋の窯もすでに専門の会社があり参入はできなかった。
- 1968年、竹田さんの叔父の2代目社長の高橋重雄さんは浅草・鳥越にあった老舗の和菓子屋であんこを練る窯の煙突修理をした時、2階の部屋の中にあった雑誌がたまたま目にとまった。その雑誌にインドの窯が載っているのを見て日本で作っている会社ははまだないとタンドール製造に社運をかけた。
- さっそく30台ほどのタンドールを製造したが、それは致命的な早とちりだった。タンドールは北インドの一部の高級店のみで使われているものだったが思い込みの激しい重雄は「インドでタンドールは絶対に必要」と思い込んだ。
- 全く売れずに途方に暮れたが重雄はインド料理店に足繁く通い石材職人ならではの特技・腕相撲でインド人と力比べ。重雄は連勝しムールティ氏と友情が芽生えてタンドールが売れた。
- インド大使館御用達の店のムールティ氏は知り合いのインド料理店にも紹介し広がった。
なお、インドの隣国ネパールではタンドールを使う料理が一般的であり、日本のインド料理店にはネパール系のお店も多くそのこともナンが広まった一因と言われているという。
ここからは私の感想・考察になるが、日本で「インドカレー&ナン」が広まったのは、パン窯の製造会社の社長がインド料理店に熱心に売り込んだことが一因であるということは理解できた。しかし「鳥越町はたいへん庶民的な町で全部長屋。町全体が1つの家族。隣の家に平気で入っちゃうとか、どこも鍵をかけていない」いうのはナンとは全く関係ないようにも思われた。このような断りを入れたのは、おそらく、
●高橋重雄さんは2階の煙突修理を頼まれた時、開いていた窓から2階の一室を覗き見したところ、たまたまタンドールを紹介した雑誌が目にとまった。
というように放送してしまうと、それって軽犯罪法違反ではないか?という疑いをかけられるための予防策ではないかと思う。要するに「鳥越町は庶民的な町であり長屋に住む1つの家族のようなところだったので、部屋の中を覗く、あるいは勝手に入り込んで雑誌を見る、というのは当たり前の行為だったと言いたかったのだろう。
腕相撲も1つのエピソードとしては面白いが、腕相撲の勝敗でタンドールの商談が成立したわけでもあるまい。
次回に続く。
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