じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 北九州の格安ガソリン価格。昨年12月と同様で税別142.5円/Lだった。周辺のスタンドでも150円台のところを見かけた。
 いっぽう、岡山では160円台前半が多いようだ。


2024年3月6日(水)




【連載】100分de名著 #136『偶然性・アイロニー・連帯』(9)第1回 近代哲学を葬り去った男(4)豊かな言葉づかいを守る
 前日に続いて、2024年2月5日からNHK-Eテレで放送が開始された、

100分de名著 #136『偶然性・アイロニー・連帯』

についての感想・考察。

 まず、昨日取り上げた『対蹠人』の思考実験についての補足。朱喜哲さんのノートによれば、今回の放送でこの思考実験がアニメ化されたのはたぶん世界初。『対蹠人』は、欧米から見た『対蹠地』であるオーストラリアに由来するらしい。なおこの件については『ローティ: 連帯と自己超克の思想』(冨田恭彦, 2016)でも紹介されているという。

 リンク先のノートではさらに、伊集院さんの「ボクが黄色と呼んでいる黄色は彼が黄色と呼んでいる色と同じに見えているかどうかは分からないけれど、ボクも彼も「この色と同じ信号の色では注意しなければならない」と分かっていれば、別に生活をしていく上で何の問題もない」というコメントについて、「ここで伊集院さんが仰ったのは、いわゆる「逆転スペクトルの懐疑」で、厳密にはこの思考実験とは違いますが、論証の構造とここでの論点(実践的には困らない)については重なるものでした。」と述べられていた。

 さて、ここまでの紹介は『哲学と自然の鏡』。ここからが『偶然性・アイロニー・連帯』の内容となる。伝統的な哲学を解体したローティが新たに捧げた使命は「『人類の会話』を守ること」であった。これまでの哲学者は「確かな知を求める学問である哲学を基にすべての知識は積み上げられている。我々が基礎を作ってあげているのだ」と特権的に振る舞っており、私たちの世界の多種多様な言葉遣いを哲学の下に位置づけ、本当はこれが正しいんだと一方的に結論づけることでそれ以上何も喋らせないように会話を断ち切ってしまう。この発想を突き詰めると、私たちが普段使っている言葉は無意味なものとされ消滅してしまう。
 一例として、「(木製の)机」は「本当は炭素、水素、酸素原子の集まりなんだ」と言われるとその語り方のほうがより正確で事実に近い表現だと思ってしまい、それ以上何も言えなくなる。しかし日常では「机」という言葉遣いは決して無意味にはならない。例えば「家族の食卓」など、机を表す言葉遣いはたくさんある。私たちは日常生活の中で、どの語彙が真理に近いなど気にもとめていない。むしろ日々の営みによって語り方が変わり、語り方が変われば社会のあり方や私たちが正しいと信じるものは有機的に変化していく。例えば『パワハラ』という言葉はかつては存在しなかったが、概念として普及したことで私たちの認識の善し悪しを変え始めることになった。そのように、言葉には私たちを形作る力がある。私たちの多様な言葉を守るために、これからの哲学はどんな役割を担えばよいのか、この考えを軸に『偶然性・アイロニー・連帯』の内容が展開されている。
 スタジオでは、さらに、伊集院さんから次のような事例が語られた。
  • 「タイパ」【タイムパフォーマンス(時間対効果)】や「コスパ」【コストパフォーマンス(費用対効果)】という言葉ができて経済的な効率の理屈に通っている人が無双状態になっていて、知識が無い人の発言を切り捨てる。
  • 【伊集院さん】子どもが足がしびれた時に「足の中にサイダー」という表現を使った時に「それはしびれるということで血液循環が悪いとこうなる」などと説明されると、「サイダー」という表現を使わなくなる。
 朱喜哲さんは、これについて、

「どちらの言葉がより正しいんだ」というやり方をやめないと、私たちの日常の豊かな言葉づかいは守れない。「それって本当はこうなんだよ」と上書きするのではなく、「こういうふうに言えるかもしれないね」というように、並列的に言い換えを増やして理解のひだを増やしていき、異なる価値観や言葉が違う人もひだを経ながら様々な言葉が一緒に共存している状況をちゃんと守ろう、というのがローティが考えている新しい哲学の使命。

というように解説された。

ここでいったん私の感想・考察を述べさせていただくが、私自身は、言葉はそもそも言語コミュニティ内での共同作業、情報伝達、スキルの蓄積・継承などを確かなものにするように発達していったものであり、もともとは生活環境や生活様式に依存して、名詞や動詞や形容詞などの種類が変わっていったのではないかと考えている。例えば、
  • 自然の影響があまりにも強い環境のもとでは、万物の変化をあるがままに表す表現が発達する。いっぽう、人間が積極的に自然を変えていくような環境のもとでは、「主語・他動詞・目的語」の三者を重視した表現が発達する。
  • 所有概念が有用である環境では「have」に相当する表現が発達する。所有の権利関係ではなく、当事者と事物の近接だけで事足りる環境では「〜がある」という表現が発達する。例えば「私はペンを持っています」は英語では「I have a pen.」だが、ロシア語では「У меня есть ручка.(私のもとにはペンが存在しています)」。
というようになる。それぞれの言語コミュニティで言葉づかいが異なるのは全くの偶然ではなく、それなりに生活環境や生活様式を反映しており、それが時代の流れの中で少しずつ変容していくのではないかと思う。

 次回に続く。