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半田山植物園の寒咲アヤメが2月16日に開花を確認後、1カ月以上咲き続けている。一輪一輪の花の寿命は短いが、次々と新しい蕾が出ており、撮影時は大まかに数えたところ60輪前後となっていた。 なお、2022年4月9日、2023年3月30日にそれぞれ一輪だけ開花を確認したエヒメアヤメは、今のところ開花の兆候は見られない。 |
【連載】100分de名著 #136『偶然性・アイロニー・連帯』(14)第3回 言語は虐殺さえ引き起こす(1)呼称が前提とする社会的規範、差別用語 3月16日に続いて、2024年2月5日からNHK-Eテレで放送が開始された、 ●100分de名著 #136『偶然性・アイロニー・連帯』 についての感想・考察。今回から第3回に入る。 第3回では、『偶然性・アイロニー・連帯』の内容から少し離れて、言語の残虐な役割、特に語り直すことのダークサイドについて解説された。 放送ではまず『文化政治』が取り上げられた。私たちはどんな言葉を使うかによって社会を変えることができ、言葉づかいが変わるということは、私たちの価値観や認識が変化していくことの表れでもある。 ●「文化政治」とは、どのような言葉を使うべきかをめぐってなされる議論を典型とする。【『文化政治としての哲学』】 具体例として、フランス人がドイツ人を「ボッシュ」と呼んだり、白人が黒人を「二グロ」と呼んだりするのを止めるべきだというような議論のことを言う。そうした言語実践を放棄することで、ある人間集団どうしが互いに対して持っている寛容の度合いを増大させることが促進される。 放送ではまた、新婚夫婦が初めてのお正月に夫の実家で過ごした時の架空のエピソードが紹介された。実家には親戚一同が揃っていて楽しく過ごすことができたが、夫の叔父の一人が新婦に向かって「おい、嫁さん、熱燗をもう1本追加してくれ」と言ったことで新婦は衝撃を受け、憤りに似た感情をいだいた。夫はいつも妻のことを「○○さん」というように名前で呼んでおり、呼ばれ方が違ったのが嫌だったのではないかと言われたが、それとは違ったモヤモヤ、おそらく、「嫁さん」という呼称が「女性はそれをやるべき」というケア労働の考えに乗って発せられたものであり、呼ばれ方そのものよりも、呼ばれ方で体現されている社会的な規範に反発を覚えたのではないかと推測された。もちろん叔父さん自身は、単に慣習的な呼称として「嫁さん」と呼んだだけなのかもしれない。しかし、言葉には1個1個歴史があって、それに対する帰結があったりする。だからこそ、どんな言葉づかいを選ぶかが「文化政治」であり哲学の問題であると解説された。 上掲の「ボッシュ」という言葉は、第一次大戦でドイツが侵略戦争を仕掛けたときにドイツ兵の野蛮さ残酷さを侮辱する意味で使われた言葉であり、ボッシュという言葉を使うと「残酷」「野蛮」という意味合いが出てくる。そこからドイツ人への偏見やステレオタイプが作られてしまう。このように、呼び方が暗黙に前提としている社会的規範や「こうあるべき」を問題にしていく、というようにローティは考えた。言葉やボキャブラリは自由自在な道具ではなく、それを使うことでその言葉に「運ばれる」、「誘導される」ことがある。 ここからは私の感想・考察になるが、言葉づかいの問題については、私も以前から気をつかっていたが、世の中には語源とは異なる意味で使われている言葉もあり、語源がダメだから今もダメだということにはならない場合もあり、使い分けが難しい。
次回に続く。 |