【連載】チコちゃんに叱られる! 「助手席の呼称の由来についての疑問」
昨日に続いて、5月17日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は以下の3つの話題のうち、2.について考察する。
- 走るときに腕を振ってしまうのはなぜ?
- 運転手の隣を助手席と呼ぶのはなぜ?
- ビリジアンってなに?
さて、日本語の『助手席』という呼称の由来であるが、放送では「タクシー運転手の助手の席だったから」が正解であると説明された。中村孝仁さん(日本自動車ジャーナリスト協会)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。。
- (中村さんが知っている限りでは)『助手席』という
呼称を使っているのは日本語と韓国語のみ。英語(=passenger seat)やイタリア語では『乗客の席』、フランス語では『同乗者の席』、ドイツ語では『運転手の隣の人の席』という意味の呼称が使われている。
- 日本で使われている『助手席』という呼称は、もともと日本のタクシー業界の用語だった。
- 日本にタクシーが登場したのは1912年(大正元年)。当初は運転手だけだった。
- 1920年代になると、運転席の隣に『助手』が座ることになった。
- 『助手』は一人前の運転手になるためにかなり過酷な業務を強いられた。当時の助手の手記には
●【就職先の】そこの妹が、深川の馬方相手の牛飯屋をやっているので、我々助手(当時助手は人間扱いされない)はその残飯整理だ。
という記述がある【資料提供:城西個人タクシー事業協同組合】
- 再現ドラマ(今野浩喜主演)で紹介された「助手さんの仕事」は以下の通り。
- エンジンをかける:1920〜1930年当時のタクシーは、耐久性の高いアメリカ車が使われており、クランク棒と呼ばれる金属製の棒をエンジンを直接回転させて起動する必要があった。
- 客引き・運賃交渉;当時のタクシーは「超」がつくような高級サービスだったのでお客を探すことが大変。助手どうしで客を奪い合うこともあった。
- 客の乗降の手伝い:当時の自動車は車高が高かったため、日本人の和服ではステップに足を上げづらかった。ドラマでは助手みずからがうつ伏せになって踏み台代わりになっていたが、実際はどのように手伝っていたのかは資料がないという。
- 運転中の道案内:地図を見ながら案内をする。
- その後助手がいなくなった理由としては、
- 日中戦争(1937年〜)が起こると若者が徴兵されるようになった。結果として助手のなり手がいなくなった。
- 戦後、車の機能が向上し、助手の必要性が無くなった。
などがあるという。
ここからは私の感想・考察になるが、まず、『助手席』という呼称が日本と韓国だけでしか使われていないというのは意外であった。私がイマイチ納得できなかったのは、以下の通り。
- 助手が必要になった理由が上記の通りであったとすれば、同じ時代にはイギリスでもアメリカでもドイツでもフランスでも、エンジンの起動や客引きや乗降の手伝いや道案内のために助手が必要ではなかったかと推測される。
- 日本人の和服ではステップに足を上げづらかったと説明されたが、ヨーロッパでも服装によっては上げづらかったはず。なので、乗降時に何らかの踏み台は用意されていたと思われる。
- タクシーに助手が同乗したのは1920年代から1930年代ころまででせいぜい20年間であった。そのような短期間にしか意味をなさなかった『助手席』という呼称がその後も使われ続けているのには何か別の理由が必要ではないか。
あくまで私の勝手な推察であるが、日本で『助手席』という特別の呼称が使われている理由は後部座席との差別化にあるのではないかと思われる。
- 例えば、社長と副社長と秘書が同じタクシーに乗る時は、秘書は助手席に座るのがマナーになっている。
- 海外旅行先でランクルに分乗する時などは助手席のほうが眺めが良いのでくじ引きで指定される場合もある。もっとも、放送では言及されなかったが、助手席は衝突事故による死亡率が高いので、助手席に座ることは自殺行為とも言えることから『suicide seat』とも呼ばれており、景色の良さだけで選ぶものでもない。
- 日本の道路交通法第71条では、シートベルト着用は全席に義務づけられているが、一般道路で後部座席で非着用の場合は口頭注意のみになっていて減点や罰則な無いという。この点でも、前と後ろの席を区別する必要がある。
なお、再現ドラマで助手さんを演じていた今野浩喜さんは、少し前の朝ドラ『らんまん』では 東京大学植物学教室の講師(のちに助教授)となった大窪昭三郎役、さらに最近では『藤子・F・不二雄 SF短編ドラマ シーズン2「じじぬき」』(2024年5月12日、NHK BS)で 天国の戸籍係を演じておられたが、今回の助手さんを含めてなかなか適役であった。
次回に続く。
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