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同じ薬の処方箋をA薬局(1月)、B薬局(3月)、A薬局(5月)に持っていった時の薬代の違い。↓の記事参照。 |
【連載】チコちゃんに叱られる! 「医薬分業の由来と本当の理由」 5月31日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
1.の医薬分業の疑問については、放送では「フリードリヒ2世が毒殺にビビったから」が正解であると説明された。山本信夫さん(日本薬剤師協会会長)&ナレーションによる説明は以下の通り【要約・改変あり】。
ここからは私の感想・考察になるが、上掲は「日本薬剤師協会会長」さんという責任あるお立場の方による説明であり重みはあった。しかし、お立場上触れにくい問題があったためか、あるいはチコちゃんの番組に子どもの視聴者が多いために難しい説明を避けたためなのか、日本で医薬分業制度が導入された背景については何も語られなかった。また、フリードリヒ2世以前にアラビアやペルシャで医薬分業が行われていたとすれば、そちらのほうにルーツを求めるべきであろう。いずれにせよ、日本国内では、1997年の厚生省(当時)の指示までは病院や開業医のところで薬を受け取るのが一般的であり、なぜそれ以降に医薬分業が進められたのかということが全く説明されていないという点で、不完全な放送内容であった。 私自身は、医薬分業の背景は、一部の悪徳医師が大量の薬を処方して薬代で儲けようとしていたことにあったと理解していた。当時、治療に本当に必要な薬のほか、胃の炎症を抑える薬とか、万が一頭痛があったときの薬、さらに栄養剤のようなものまで、たくさんの薬が処方される場合があり、患者は薬漬け、また保険医療費が膨れ上がっていった。そうした医療費の抑制をめざす厚生省(当時)と、薬剤師の地位向上をめざす動きが連携して医薬分業を実現させたのではないかと思っていた。 ということで改めて、ウィキペディアを参照したが、私の解釈とそれほど違いはなさそうであった。 ちなみに、私や妻が過去に通院、もしくは現在も通院している病院・開業医の実状は以下の通り。医薬分業ができているものに○、できていないものに×を記す。
このことにも関係するが、私は、少し前まで、同じ処方箋であればどの薬局に持っていっても薬代は同じであろうと思っていた。しかし、この半年あまりに同じ病院で発行された処方箋を、1月と5月はA薬局、3月はB薬局に持っていったところ、薬代の金額が100円〜200円程度異なっていることに気づいた【上掲の画像参照】。もちろんその1つは、薬の量の違い【←次の予約日までの日数がずれるため】によるものであるが、どうやら、薬局によって『調剤技術料』と『薬学管理料』に微妙な差があることが判明した。 この違いについては3月19日にも触れたことがあった。今回5月の明細が揃ったことでいくぶんカラクリが見えてきたが、どうやら、『調剤技術料』はB薬局のほうが10点ほど高く設定されているように見えた。『薬学管理料』については、A薬局は1月が105点、5月が122点となっていて異なっている。次回の7月はどうなるのだろうか。数十円の違いとはいえ、少しでも安く切り上げるに越したことはない。 次回に続く。 |