じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 同じ薬の処方箋をA薬局(1月)、B薬局(3月)、A薬局(5月)に持っていった時の薬代の違い。↓の記事参照。


2024年6月2日(日)




【連載】チコちゃんに叱られる! 「医薬分業の由来と本当の理由」

 5月31日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
  1. なぜ薬は病院ではなく薬局でもらうようになった?
  2. なぜ木の枝はグニャグニャしている?
  3. 「恥ずかしい」ってなに?
という3つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.について考察する。

 1.の医薬分業の疑問については、放送では「フリードリヒ2世が毒殺にビビったから」が正解であると説明された。山本信夫さん(日本薬剤師協会会長)&ナレーションによる説明は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 現在日本では約8割の患者が医師の書いた処方箋を薬局に持って行き薬をもらっている。これは1997年に当時の厚生省が患者の診察を行う医師と薬の調剤を行う薬剤師の役割を分ける指示を出したから。
  2. 医師と薬剤師が業務を分担することを医薬分業という。
  3. 医薬分業の仕組みは神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世が毒殺を恐れたことがきっかけになったと言われている。
  4. 神聖ローマ帝国は10世紀から19世紀の間に現在のイタリアとドイツのあたりに存在した国。フリードリヒ2世はおよそ800年前にこの国の皇帝だった。
  5. フリードリヒ2世は国の統治に優れていただけでなくラテン語やアラビア語など数か国語を話し、ナポリ大学を設立するなど国民の知的水準を向上させそれまでの王の中で最初の近代的人間と評された。
  6. 18世紀のヨーロッパはさまざまな国で権力争いが起こっていた。当時、暗殺の方法のひとつとして用いられたのが毒。当時ヨーロッパの国々では権力者がたびたび毒殺されていた。
  7. 中世ヨーロッパでは花の毒による暗殺が多かった。実際にジギタリスという花で暗殺されたという記録が残っている。
  8. 花以外ではヒ素が使われていた。ヒ素は少量でも長期間とり続けると死に至る。ヒ素を見抜くために銀の器が使われた。銀はヒ素に含まれる不純物がつくと黒く変色する。中世ヨーロッパの王族や貴族は銀の食器で毒殺を防いだ。
  9. 当時医学の先進国だったアラビアやペルシャではすでに薬剤師という職業があったが、当時のヨーロッパにはまだそのような制度は無かった。
  10. 医者が毒を盛っても薬屋がそれに気づけば毒殺を防ぐことができる。また患者は自分で薬屋を選ぶことができるので、特定の薬屋が医師と結託して毒殺を企てることもできない。
  11. こうしてフリードリヒ2世は1240年に『医薬分業』、つまり薬は薬剤師からもらうという法律を定めた。これが現代の薬局で薬をもらうルーツになっている。
  12. 以来、『医薬分業』のシステムはヨーロッパの国々に広く伝わるようになり、その後、日本でも定着した。
  13. 『医薬分業』のメリットとしては、
    • 薬に間違いはないか薬剤師が確認することでダブルチェックができる
    • 薬に関する十分な説明を受けられる
    • 患者が薬局を自由に選べる
    • 医療機関の混雑緩和
    • 待ち時間の短縮
    などが挙げられる。
  14. 医者や病院の方針、離島や薬局に行けない場合は病院で薬を出すところもある。




 ここからは私の感想・考察になるが、上掲は「日本薬剤師協会会長」さんという責任あるお立場の方による説明であり重みはあった。しかし、お立場上触れにくい問題があったためか、あるいはチコちゃんの番組に子どもの視聴者が多いために難しい説明を避けたためなのか、日本で医薬分業制度が導入された背景については何も語られなかった。また、フリードリヒ2世以前にアラビアやペルシャで医薬分業が行われていたとすれば、そちらのほうにルーツを求めるべきであろう。いずれにせよ、日本国内では、1997年の厚生省(当時)の指示までは病院や開業医のところで薬を受け取るのが一般的であり、なぜそれ以降に医薬分業が進められたのかということが全く説明されていないという点で、不完全な放送内容であった。

 私自身は、医薬分業の背景は、一部の悪徳医師が大量の薬を処方して薬代で儲けようとしていたことにあったと理解していた。当時、治療に本当に必要な薬のほか、胃の炎症を抑える薬とか、万が一頭痛があったときの薬、さらに栄養剤のようなものまで、たくさんの薬が処方される場合があり、患者は薬漬け、また保険医療費が膨れ上がっていった。そうした医療費の抑制をめざす厚生省(当時)と、薬剤師の地位向上をめざす動きが連携して医薬分業を実現させたのではないかと思っていた。

 ということで改めて、ウィキペディアを参照したが、私の解釈とそれほど違いはなさそうであった。

 ちなみに、私や妻が過去に通院、もしくは現在も通院している病院・開業医の実状は以下の通り。医薬分業ができているものに○、できていないものに×を記す。
  • 【○】国立病院:病院の周辺に複数の門前薬局あり。
  • 【×】全国規模の系列の私立病院:病院内に薬局あり。
  • 【○】比較的大きな私立病院:駐車場の向こうに薬局あり。
  • 【×】小規模の病院:会計でお金を払い、隣の窓口で直ちに薬を受け取る。
  • 【○】内科の開業医。同じ建物の一部に独立した薬局あり。
  • 【○】眼科の開業医。駐車場内の別の場所に薬局あり。
ということで、私が知っている近隣の医療機関では2箇所以外は医薬分業となっていた。

 このことにも関係するが、私は、少し前まで、同じ処方箋であればどの薬局に持っていっても薬代は同じであろうと思っていた。しかし、この半年あまりに同じ病院で発行された処方箋を、1月と5月はA薬局、3月はB薬局に持っていったところ、薬代の金額が100円〜200円程度異なっていることに気づいた【上掲の画像参照】。もちろんその1つは、薬の量の違い【←次の予約日までの日数がずれるため】によるものであるが、どうやら、薬局によって『調剤技術料』と『薬学管理料』に微妙な差があることが判明した。

 この違いについては3月19日にも触れたことがあった。今回5月の明細が揃ったことでいくぶんカラクリが見えてきたが、どうやら、『調剤技術料』はB薬局のほうが10点ほど高く設定されているように見えた。『薬学管理料』については、A薬局は1月が105点、5月が122点となっていて異なっている。次回の7月はどうなるのだろうか。数十円の違いとはいえ、少しでも安く切り上げるに越したことはない。

 次回に続く。