じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 楽天版の2015年7月1日付け記事で『グラジオラスを倒れないように咲かせる方法という話題を取り上げたことがあった。この記事はどこかの人気サイトからリンクされているらしく、7月5日時点で10213アクセスをいただいている。その方法とは、花茎がくぐるようにネットを張るというものであるが、花茎が伸びすぎたり強風に揺すぶられたりすると倒れてしまうことがある。
 写真上は花茎が折れてしまった様子。写真下は1本ずつ支柱を立てた様子。背の高い花茎はやはり支柱が一番のようだ。


2024年7月6日(土)




【連載】チコちゃんに叱られる! 「七夕の願いごと」

 7月5日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
  1. なぜ七夕の日に願い事をする?
  2. なぜ高校野球の応援曲は懐メロが多い?
  3. なぜガスコンロの炎は青い?
という3つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.について考察する。

 七夕の日に願い事をする由来については、「七夕の日に願い事をするのは手芸が上手になりたかったから」が正解であると説明された。和歌や日本の文化に詳しい吉海直人さん(同志社女子大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 『七夕』は中国の『牽牛・織女』という古い物語が元になっている。
  2. 日本ではそれを『彦星』と『織姫』という形で伝わっている。
  3. 織女は天帝の娘で、毎日天の川のほとりで機を織っていたが、牛飼いの牽牛と恋に落ちた。
  4. 天帝は織女と牽牛の結婚を許したが、嫁いだあとで織女が機織りをやめてしまったため激怒。2人を天の川の両岸に引き離し、7月7日のみ会うことを許した。その再会を祝う行事が七夕となった。
  5. 古代中国の風俗などを著した『荊楚歳時記』【大辞泉によれば、中国、六朝時代の荊楚(現在の湖北・湖南省)地方の年中行事や風俗を記録したもの。梁(りょう)の宗懍(そうりん)の撰。6世紀半ばごろ成立。全1巻】には、「牽牛織女が会う七月七日の夕べに、婦人は豪華な針や五色の糸を飾り、庭にむしろを敷き、机の上に酒やうりなどを供えて手芸の上達を祈った」とあり、7月7日には針仕事や手芸の上達を祈る行事が行われていたことが分かる。
  6. この行事は『乞巧■(きっこうでん)と呼ばれており、乞は「願う」、巧は「すぐれた手芸の技術」、■(でん)は「祭り」という意味であった。
  7. 『きっこうでん』は奈良時代に日本に伝来し、宮中・貴族に広まった。
  8. 宮中に広まると男性貴族の行事となり、男性主体の音楽、漢詩、和歌などの芸事の上達を織女に願う方向で行事化された。また短冊に和歌を書くことから願いごとも短冊に書くようになった。
  9. 江戸時代に入ると徳川幕府は権威を示すため、これまで宮中で行われていた行事を五節句として定め、世に広めた。7月7日の七夕(しちせき)もその1つ。
  10. 日本中に広まった寺子屋では、子どもたちが「字が上手になりますように」という願いごとが書くようになった。
  11. 昔はそれぞれの神社仏閣に「これに効く」「これをかなえてくれる」といった特色があったが今は何でもOKという方向になっている。七夕の願いごとも同様で、なんでも聞いてよ、となった。
 放送では街角でインタビューが行われ、ユニークな願いごとが紹介された。

 ここからは私の感想・考察になるが、我が家でも子どもたちが小さい頃には毎年、笹の枝に七夕の願いごとを書いていた。
 岡大の福利施設入り口にも毎年七夕飾りが設置され、願いごとが書けるようになっている【こちらに今年の情報あり。】 定年退職前に撮影した写真は、こちら(2017年)やこちら(2016年)にある。

 ちなみに、現在では七夕は太陽暦の7月7日に行われているが、旧暦の伝統的七夕は今年は8月10日となっている。今年の旧暦七夕の最大の特徴はスピカ食が見られること。20時台なので、晴れていれば無理なく観察することができそう。

 次回に続く。