じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 半田山植物園・洛陽牡丹園で見かけたザクロの実。牡丹仙女像(左下)の頭上とザクロが重なるように撮影してみたが、あいだの枝に遮られてうまく写らなかった。


2025年01月23日(木)




【連載】NHK『ダークサイドミステリー 神秘の古代ミステリー 徹底検証!日本・ユダヤ同祖論(8)同祖論の背景/ユダヤ人弾圧

 昨日に続いて、2024年11月29日に再放送された表記の放送についてのメモと感想【初回放送は2023年7月13日】。

 前回の日記で、戦前に「日ユ同祖論」を唱えた、佐伯好郎、酒井勝軍、小谷部全一郎という3人の日本人の話題を取り上げた。「日本人が優秀なのはユダヤ人が祖先だから」という考え方は、当時の愛国心の高揚にも一役買っていたと推測されるが、1940年の日独伊三国同盟締結によりすっかり勢いを失ってしまった。ナチス・ドイツがユダヤ人を徹底的に弾圧し次々と収容所に送り込んでいたことで、日本もこれに気を使う必要が出てきたことで日本国内でのユダヤに対する関心は薄れ、日ユ同祖論も下火になっていった。

 放送ではここでいったんスタジオ出席者からのコメントがあった【要約・改変あり。敬称略】。
  1. 【雨宮純】(マクレオドの説に関して)世界中の遺跡は宇宙人が作ったという説がある。マチュピチュとかアステカといったヨーロッパ以外の地域には高度な文明の遺跡があるが、そこに住んでいる人たちが作れたとは思えない時、欧米人はこれは宇宙人が持ってきたというように解釈した。これは人種蔑視。この「宇宙人」を「ユダヤ人」に変えると、日本人が高度な文明とか文化を持っているわけがないと思った時に「ユダヤ人とつながっていたから」という発想が生じたのではないか。
  2. 【原田実】佐伯好郎、酒井勝軍、小谷部全一郎の3人に共通しているのはプロテスタントの信者でありアメリカ留学体験があるということ。プロテスタントは旧約聖書を直接読み、そこに日本を発見していく。またアメリカ留学中にアメリカ人が日本人やユダヤ人を差別していたことから、「ともに差別されている日本人とユダヤ人が旧約聖書によって神から認められた民だ。我々の先祖は西洋人よりも偉大な民族だったはずだ」という発想がある。これはすごく虫のいい発想であり、「ユダヤの陰謀は世界を破壊しようとしている 。しかし真に神に守られている国はそういう破壊から逃れられるはずだ。その時、日本が世界を支配する。」 だから陰謀論と日本・ユダヤ同祖論は酒井勝軍に代表される人たちのなかでは矛盾していない。荒唐無稽な話のように見えるが、それは日本人を肯定していくための物語。
  3. 【雨宮純】「日ユ同祖論」と「ユダヤ陰謀論」を同時にやっている人はよく見られて全然珍しくない。そのような人の書いた本には、前半が日ユ同祖論で後半が陰謀論になっているものもある。その根本には「嫉妬」「やっかみ」「うらやましい」と思うような発想がある。それが悪い方向に行くと「陰謀論」、自分とつながっている力がある存在となれば「日ユ同祖論」。


 ここまでのところで私の感想・考察を述べさせていただくが、まず、明治の初めの廃仏毀釈、国家神道強化という流れがあるなかで、旧約聖書を拠り所にした日ユ同祖論がどこまで支持されたのかは分からないところがある。もっとも神仏習合にも見られるように、日本の神道は他の宗教とは対立せず、よく言えば柔軟性、悪く言えば曖昧さを残したまま他の宗教と融合しやすい性質を持っていると言えるかもしれない。また戦前の一部のキリスト者にとっては、保身的な意味合いからも、自らのキリスト教信仰と国粋主義の強まりを矛盾させないためにこのような説を唱えていた可能性もあるかと思う。

 次に、ナチス・ドイツのユダヤ人弾圧に対して上掲の3人がどのような態度をとったのかについてザッと検索してみたが、昨日も述べたように、3人のうち、2人は1940年と1941年に亡くなっており、どのように行動していたのか分からないところがある。
  1. 酒井勝軍は1940年7月6日に亡くなっているが、ドイツでのユダヤ人商店への不買や公民権剥奪は1930年代から起こっており、そのいっぽう「1937年(昭和12年)、『天孫民族と神撰民族』出版において、酒井は明確にシオニズム支持の立場を表明する。」という記述があることから、ユダヤ人弾圧に対して何らかの反応をしていたはずだが、詳しいことは分からない。
    なお、1930年代における日本の反ユダヤ主義については

    1930年代における日本の反ユダヤ主義

    という論文があった。

  2. 小谷部全一郎は1941年3月12日に亡くなっており、日独伊三国同盟が締結された1940年9月27日には存命であったようだ。ウィキペディアには以下のような記述があるが出典不明。
    太平洋戦争後まもなく、ユダヤ系アメリカ人が【誰を?】訪ねてきた。小谷部が戦前にナチス・ヒトラーのドイツ内外のユダヤ人弾圧に憂慮し、各地のユダヤ系新聞社に「意見書」を投稿し、彼らを激励していたことによる。1933年(昭和8年)12月27日付『イスラエル・メッセンジャー』紙には「ナチスの虐待に対し無法をなさず、神の裁きを待つべき」との投稿が掲載されている

  3. 佐伯好郎は戦後の1965年まで長生きされておられるので、当然、ユダヤ人弾圧の一部始終をご存じのはずだと思われるが、具体的にどのように行動されたのかは分からなかった。そもそも太秦の秦氏関連の説を別とすれば、それ以外に佐伯好郎がどのような日ユ同祖論を展開していたのかよく分からないところがある。


 ま、程度の差こそあれ、人は誰でも自身の肯定や賛美につながる説に飛びつきたくなるものである。これは当人だけに限るものではない。自分のきょうだいや子どもが有名になれば自分自身の誇りであるように感じる。自分の出身地、卒業した学校などから偉人が輩出されればこれまた誇りになる。最終的には、自分の先祖まで遡って自己肯定する。本当のところは、自分は何十億もの地球人の中の1人に過ぎず、遺伝子的なルーツがどうあったとしても大した意味はなさないと思うのだが、自信が持てない人にとってはそれなりに日々の生活の支えになるのかもしれない。

 次回に続く。