じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 所得税確定申告の期限が迫っている。我が家では高齢化により毎年の医療費が夫婦合わせて10万円を越えているため毎年申告をしているのだが、1年に1回だけ、しかも毎年作業手順や表示画面が変わっているため、新しいことに不慣れな私にとっては大変なストレスになっている。
 2024年にかかった医療費に関しては、スマホでマイナンバーカードを読み取るだけで月別の一覧が表示できることから、このデータを機械的に読み込めば済むはずだと思ったのだが、パソコンのWeb画面での申告に反映させる方法が分からなかった。
 ということで昨年同様、医療費集計フォームをダウンロードして手入力で集計を始めようとしたところ「シートの保護を解除してください」というメッセージが表示された【画像上】。さっそく「校閲→シート保護の解除」で解除を試みたところ、パスワードの入力を迫られた。国税庁のサイトにはどこにもパスワードが記されておらずどうしてよいのか分からなかったが、ネットで検索したところ、こちら

保護されたスプレッドシートを開き、入力したコンテンツ、または保存する必要があるコンテンツをすべて選択してコピーし、新しい Excel スプレッドシートに貼り付けます。この新しいスプレッドシートは、パスワードなしで編集および保存できる必要があります。

という回答があり、何とか解決できた。これって他の人はどうしているのだろうか?

 丸1日かかったが、とりあえず申告作業は終了。期限まではまだ日にちがあるので、認知症予防を兼ねて、スマホによる申告方法を学び、同じ結果になるかどうか確認したいと思う。

2025年03月5日(水)




【連載】最近視聴したYouTube動画(14)岡田斗司夫さんの動画をもとに宗教について考察する(12)自分自身の死後の世界

 3月4日に続いて、宗教について岡田斗司夫さんの動画をネタにした考察。

 昨日の日記までのところで、「死後の世界」あるいは天国、極楽浄土について少なくとも3つの視点があると述べてきた。これまでとは少し別の言葉に置き換えてみると以下のような3通りになるかと思う。
  1. 器としての世界
    自分がそこに行くかどうかは別として、とにかく宇宙のどこかに別世界があってそこに住む人が地球を支配しているというような考え。全知全能の神が万物を創造したとか、この太陽系はじつは宇宙人の子どものおもちゃであって、ある日突然、その子どもの気まぐれで一瞬にして破壊されてしまうかもしれない、といった考えとか。
    要するに、自分のかかわりは別にしておいて、神の世界があるかないかを議論する
  2. 死んだ人が旅立っていく世界
    あくまで生者(遺族)の視点から見た世界。どこか別の世界に死者が存在すると想定し、語りかけたりする。
  3. 自分自身の死後の世界
    臨終間際になると編笠をかぶった菩薩が迎えに来るとか、三途の川を渡る夢を見るとか。但し、いったん黄泉の国に行ってから生まれ変わるという考えもある。

 このうち1.については3月1日3月2日の日記で、また2.については3月3日3月4日の日記で大まかな考えを述べた。本日は残りの3.について考察する。

 「自分自身がかかわる死後の世界」を想定することには1つ、大きな前提がある。それは、少なくとも人には、肉体から離れても存在しうる「魂」というものがあって、死後も消滅しないという前提である。念のためウィキペディアを参照したところ、「魂」ではなく「霊魂」の項目に転送されており、以下のように解説されていた【要約・改変あり】。
霊魂(れいこん)は、肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの。肉体から離れたり、死後も存続することが可能と考えられ、体とは別にそれだけで一つの実体をもつとされる、非物質的な存在。人間が生きている間はその体内にあって、生命や精神の原動力となっている存在、個人の肉体や精神をつかさどる人格的・非物質的な存在、感覚による認識を超えた永遠の存在と考えられている。高度に発達した科学的定義においては、その物理的な実存について肯定される概念ではない。
 「魂」を肯定するという立場に立つのであれば、死後の世界がどんなものであるかは大した問題にはならない。金魚鉢の中でもよいし、遠い宇宙空間であってもよい。要するに「死後の世界」という器が問題なのではなく、「魂」が永遠不滅であるということが重要になる。
 しかしここでまた議論が生じる。「魂は永遠不滅」と主張するためには、何をもって同一であると見なすのかを明らかにしておく必要がある。例えばゾウリムシは無性生殖を通じて分裂を繰り返し新しい個体を作り出すことができる。環境ストレスや遺伝的変異、老化などにより、個々のゾウリムシが死滅することもある。それぞれの個体を別々の存在としてとらえるか、分裂した個体をすべて同一の魂(の分身)として捉えるのかによって「ゾウリムシは永遠不滅か?」の結論は変わってくる。
 2月20日の日記にも述べたが、輪廻転生があろうとなかろうと、「前世」の記憶が1つも蘇らず、また「来世」に何も引き継がれないのであれば、「前世→現世→来世」というような連続性、同一性を想定するメリットは見当たらない。
 もちろん、終末期を迎えた人にとっては「自分はこれで消滅する」と考えるよりも「自分は死後の世界で生き続ける」とか「自分は生まれ変わる」と信じたほうが、死の不安を和らげより高いQOD(Quality of Dying)を保つことができるかもしれない。そのような人は信じればいい。私自身は「自分はこれで消滅する」と悟る道を選ぶだろうが。




 さて、岡田斗司夫さんは、輪廻転生、死後の世界のほか、新興宗教や既存の各種の宗教についても語っておられた。不定期連載ではあるが、次回からはこれらについて私自身の考えを述べさせていただく予定である。