じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



08月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

クリックで全体表示。


【インドネシアその41】ウルン・ダヌ・バトゥール寺院
インドネシア旅行の最終日、ヒンズー教の寺院を見学した。主祭神はバリ・ヒンズー教のヴィシュヌ神と湖の女神デウィ・ダヌ。
写真右は寺院の敷地に入る着用したサロン(腰巻)とスレンダン(腰帯)。

ヒンズー教寺院はネパールで何カ所か訪れたことがあるが(例えばこちらこちら)、バリ島の寺院とはかなり異なっており、またサロンやスレンダンを着用することはなかった。

2025年08月20日(水)




【小さな話題】ケンボー先生と山田先生〜辞書に人生を捧げた二人の男〜(2)恋愛、白桃、蛤、エー

 昨日に続いて、8月16日にNHK-BSで再放送された表記の番組のメモと感想。

 放送の冒頭ではまず、『新明解(新明解国語辞典)』と『三国』を特徴づける語釈として『恋愛』が挙げられた。
  • 【『新明解』第三版】特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいおいう気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる。(まれにかなえられて歓喜する)状態。
  • 【『三国』第二版】男女の間の恋いしたう愛情 恋。
 念のため、私が使っているATOK搭載の『新明解』第七版を参照したところ、

特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。

というように一部文章が変わっていた。『三国』第七版のほうも、

(おたがいに)恋(コイ)をして、愛を感じるようになること。

となっていた。
 ナビゲーターの薬師丸ひろ子さんは『三国』の語釈のほうがしっくりくると言っておられたが、私はむしろ『新明解』のほうが明解であると思う。というのは、
  • 『新明解』では恋愛が生じた時、それにともなって行動や感情がどのように変化していくのか具体的に説明されている。
  • 【三国』第二版は「恋愛=恋いしたう愛情」、同じく第七版は「恋をして愛を感じるようになる」という語釈になっているが、これらは漢字の二字熟語をやまとことばで補完しただけのもので、辞書だけで地球人を理解しようとする宇宙人が見てもどういう感情なのかはサッパリ分からない。


 放送ではさらに、『新明解 第四版』と『三国』で『白桃』、『蛤』の語釈がどうなっているか比較された。なお、ここではATOK搭載の第七版の語釈も追加しておく。
  • 白桃
    • 『新明解 第四版』[黄桃と違って]実の肉が白い桃。果汁が多く、おいしい。
    • 『新明解 第七版』実の肉が白い桃。果汁が多く、おいしい。
    • 『三国 第三版』実の肉がうす黄色の桃。しろもも。
    • 『三国 第七版』実の肉が うす黄色のモモ。しろもも。(⇔黄桃(オウトウ))
    • 『新明解 第四版』〔浜栗の意〕遠浅の海にすむ二枚貝の一種。食べる貝として、最も普通で、おいしい。殻は なめらか。
    • 『新明解 第七版』〔浜栗の意〕遠浅の海にすむ二枚貝の一種。食べる貝として、最も普通で、おいしい。殻は なめらか。
    • 『三国 第三版』(放送では言及されず)
    • 『三国 第七版』浅い海でとれる二枚貝。からが なめらかで、内がわは白色。食用とする

 『白桃』、『蛤』いずれにおいても、『新明解』では「おいしい」という主観が入っているのに対して『三国』は客観的、簡潔に説明しようとしている。
 では、『三国 第三版』は全く特徴のない平凡な辞書なのだろうか。放送では『三国』を特徴づける採用語句として『エー』が取り上げられた。

エー[A]:[学]キス。[以下、B《=ペッティング》、C《=性交》、D《=妊娠》、I《=中絶》とつづく]

但し、放送では「A キス。以下、B、C、D、Iと続く」とだけ読み上げられた。いっぽう『新明解』ではこの語句は採用されていない。

 いま述べた違いは、語句を掲載するかどうかについての方針の違いにあった。
  • 『新明解』:伝統を重んじる慎重派。主観・長文解説
  • 『三国』:積極的に現代語を掲載。客観的・簡潔解説

なお私がざっと調べた限りでは、上掲の『エー』という項目は『三国 第七版』には載っていない。今では使われなくなったためだろう。

 ここでいったん私の感想・考察を述べる。最後のところに出てきた「積極的に現代語を掲載するかどうか」から思い出されるのは『現代用語の基礎知識』であった。私が中学生の頃はまだまだ性教育が不十分であったが、叡智な言葉の多くはこちらの本に収録されていて大いに勉強になった。同じことを考える生徒は他にもいたようで、叡智な言葉を解説しているページだけが薄汚れていたりした。

 さて、元の話題に戻るが、『新明解』はそれまでにない斬新な語釈がつけられていたことで新聞などでも取り上げられることが多かったが、すでに何度か指摘したように、ユニークな語釈がつけられていたのは収録語句の一部に過ぎない。大半の語句は他の国語辞典の語釈と大差ない。『新明解』のなかの話題性のある語釈だけとつまみ上げてこれが『新明解』だと特徴づけるのは行きすぎではないかという気がする。

 次回に続く。