2月29日(火)
【思ったこと】 _00229(火))[一般]「400年に一度の閏日」は何をもたらすか
2月29日は400年に一度の特別な閏日。
- 西暦年が4で割れる年は閏日を設ける
- ただし西暦年が100で割れる年は閏日としない。
- ただし西暦年が400で割れる年は閏日とする。
というルールの3番目の適用が400年に一度しか起こらないという意味だ。気象庁アメダスや郵便局のATMの一部でトラブルがあったと聞いた。
3番目の規定が必要なことについては 1998年の4月29日の日記で「春分の日が閏年でもないのになぜ3月20日になってしまったか」に関連して一度書いたことがある。ここでその記述を要約すると
- 1年が365.25日ピッタリという仮定のもとで、ある閏年の春分が3/21の午前1時であったとすると、翌年は午前7時、2年後は午後1時、3年後は午後7時ということになる。となると、4年後の春分は3/22の午前1時というふうに丸1日ズレることになるが、ちょうど閏年が挿入されるので、もとの3/21の午前1時に引き戻される。これならば、春分の日は永遠に3/21のままということになる。
- ところが1年の長さは、365.25日ではなく、365.24219日(365日5時間48分45.261秒)となっていて、四分の一日より約11分15秒ほど短い。そのため、4年に1度ずつきっちり閏年を入れていると、春分点は毎年11分15秒ほど早くなってしまい、128年たつと3/20、256年たつと3/19というように1日ずつ繰り上がってしまうことになる。
- 現行のグレゴリオ暦は、この約11分15秒のズレを修正するために、400年に3回だけ
西暦が4の倍数であっても閏年でない年を定めている。11分15秒を400倍すると3.125日となるから、3日分の修正でだいたいOK。これで3000年分ぐらいの暦は安泰ということになる。
この時の日記でも指摘したように、上記のルールは裏をかえせば、西暦1900年から2100年までの200年間、11分15秒のズレを無修正のまま放置することを意味するわけだから、春分の日は本来の3月21日より前のほうにズレていく度合いが大きくなっていく。 その結果として、この表(98年4月29日の別表の再掲)が示すように、春分の日は、2100年が近づくにつれて3月21日よりも3月20になる率が高くなり、2055年を最後に2099年までのあいだ、春分の日が3月21日になることは決してない。それどころか、2092年と2096年には3月19日が春分の日となる場合さえ出てくる。
以上はあくまで春分の日に注目して暦と1年間とのズレについて述べたものであるが、誕生日、結婚記念日、命日などでも、暦上の同一月日と1周年のあいだで同じようにズレが生じることは言うまでもない。
もっとも、誕生日などのズレは上記の400年ルールとは別問題。2100年が近づくからズレが大きくなるというわけではない。これは、生まれた時刻から経過した時間を365.2422日で割り、その間に閏日が何回挿入されたかだけを考えればよい。例えば、1998年の4月1日の23時00分00秒に生まれた赤ちゃんは
- 1999年の4月2日の午前4時48分45秒に丸一年を迎える。厳密に一年の経過を祝うなら4月2日のほうがふさわしい。
- 2000年は閏日が入るので、2000年の4月1日の午前10時37分30秒に丸二年を迎える。これを祝う日は4月1日がふわさしい。
もう1つ、これも再掲になってしまうが、我々が日常生活で使っている1年間(太陽年)という概念は、厳密には地球が太陽の周りを一周する時間とは異なる。地球が太陽の周りを一周する時間は365.2564日。これを恒星年という。太陽年(365.24219日)がこれより短いのは、もし恒星年で一年と定めてしまうと、地軸の首振り運動(歳差)の影響で、同じ月日が真夏になったり真冬になったりして生活上不便を来すためであろうと思う。詳しくは1998年の4月29日の日記を参照されたい。
で、結論として「400年に一度の閏日」は何をもたらすか。私なりの答えは、
春分の日が3月21日より3月20日(年によっては3月19日)、秋分の日が9月23日よりも9月22日になりやすくなること
だと思う。だからどうだということも無いんだけれど....。やっぱ、「ジャネーの法則」(※)のほうが私にとっては重大か。
※孫引きによれば、「ある人の生涯のある時期における一定時間の心理的長さは、その人のその時までの生涯の長さの逆数に比例する。」。出典は調べていない。
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【新しく知ったこと】
2月27日の日記「ちょっと思ったこと」に、
新潟県警本部長の経歴が2/27の朝日新聞に載っていたが、それによれば、岐阜県多治見税務署長、沖縄県警警備部長....など歴任となっていた。税務署の署長が警察本部長になるというのは奇妙な感じがするのだが、誤植なのだろうか。
と記したところ、R.Y.さんから次のような情報をいただいた。許可をいただいたので一部を転載させていただく。
新潟県警察本部長の経歴の関係で「税務署長」が誤植ではないか、とのご指摘がありましたが、たぶん、誤植ではありません。
警察庁−大蔵省間の人事交流の一環で、税務署長ポストが警察庁に提供され、小林氏が配置されたものと思われます。
小林氏本人については確認していませんが、警察庁のキャリアで税務署長を経験された方を複数名知っております。
逆に、大蔵省のキャリアが警察署長に配置されたケースは聞きません。
さすがに第一線に警察の実務経験のない者を配置するのは適当でない、ということでしょうか。なお、本部長クラスでは複数の県警で大蔵省を含めた中央官庁からの出向者が就任していますが、これは組織管理の性格が強くなるからだと思われます。
面白いところでは、数年前に少年非行が問題になったのを契機に、文部省から県警本部の少年課長に出向するパターンができました。
(この場合、赴任する方は「(文部省の)辞職を承認する」、「警察庁警視に任命する」、「(警察庁の)辞職を承認する」、「○○県警警視に任命する」の4枚の辞令をもらうことになります。面倒くさいですね。)
警察署長ポストについては、「30歳で警察署長」のように警察官僚の昇任の早さを象徴するものとして語られ、全員が経験するものであるかのような書き方をされることがありますが、過去はともかく、最近はあまりポストがありません。
貴重な情報をどうもありがとうございました。
ところで、先日も確定申告に行ってきたばかりだが。税金の計算はとにかくややこしい。税理士さんを尊敬してしまう。ここで1つ疑問に思ったのだが、税務署の職員になるためには税理士の資格は必要なのだろうか。あるいは、税務署に何年も勤めていると税理士の資格が自然に発生するのだろうか。このあたり、情報をいただければ幸いです。
※旧帝大や同格の私立大で法学部教授を一定年数以上務めると弁護士の資格が得られると聞いたことはあるが、税務署と税理士の関係はどうなっているのだろう。
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【今日の畑仕事】
風邪が回復せず、本日も手をつけられず。
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【スクラップブック】
- 大阪府堺市で1998年1月8日に起きた殺傷事件に関連して、被告少年(当時19歳)が実名や顔写真を月刊誌に掲載した新潮社に損害賠償を求めた控訴審で大阪高裁は29日、新潮社逆転勝訴の判決を言い渡した。「表現行為が社会の正当な関心事で、表現内容・方法が不当なものでない場合には表現行為は違法性を欠き、プライバシー権などの侵害にはならない」
- 「エホバの証人」同意なし輸血裁判で最高裁は29日、国や医師側に賠償を求めた東京高裁判決を支持。患者が医療行為を選ぶ権利を人格権の1つとして明らかにし、医師の説明義務違反を認めた。
- 大阪府の太田房江知事は29日、今年の大阪場所で直接土俵に上がって知事賞を授与することを断念。【朝日新聞の関連記事の中で、谷沢栄一・関西大名誉教授が「セレモニーだけ参加するのは身勝手で、土俵に上がりたければ相撲取りになってもらいたい」とコメントしたのは、論理のすり替えではないかと思う。これをめぐるキャッチフレーズ(というか、この場合は「レトリック」と言うべきか)、及び本質論についてはいずれ私なりの考えをまとめてみたい。】
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