じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
文学部西側に咲くアヤメ。アイリス、アヤメ、カキツバタ、花菖蒲の区別は難しいが、園芸書によれば「葉の中央脈が触って分かるものが花菖蒲、分からないものがアヤメ、中央脈の無いのがカキツバタだという。このほか、生育適地が乾燥地でもよいのか、湿り気の多い土地に適するのか、通常水を張った沼地に適するのかということによっても区別ができるかと思う。 |
【思ったこと】 _00518(木)[心理]「死人テスト」からの発想と具体的であること(7):ダイエットの心理:「体重を減らす」、「食べない」は行動ではない 木曜日午後のゼミの発表で、ある卒論生が「知的障害者を対象とした食生活、運動習慣の形成と長期的維持....」という論文を紹介した。その論文で評価されるべき着眼点の1つとして 減量を第一義的な標的とせず、障害者本人が自発的に取り組みやすい標的行動の設定。というのが挙げられていた。言い換えれば 「体重が減ったら強化」ではなく「体重を減らすために有用と考えられる具体的な行動を強化」 ということにもなる。これは行動分析学的に見れば当然のこと。こちらの連載の冒頭にも書いたように、行動分析学で言うのところの行動は、あくまで能動的な働きかけに限定される。 死人でもできることは行動ではないという「死人テスト」をパスしない行動、例えば、「受身形」、「状態」、「否定形」のように、死人でもできることは行動とは見なされない。 この視点に立つならば、「体重が減る」というのは体の状態を表すものであり、死人でもできること。口に出して言える話ではないけれど、死んだ人が何らかの理由でそのまま放置されミイラ化していけば体重も減る。 ではどうすればよいのか。適度に運動をする、夕食後に散歩をするというのは具体的な行動であるから強化の対象になる。その場合重要なことは、「体重が減ったかどうか」という成果ではなく、「どれだけ努力したか」というプロセスを強化するということ。ちなみに「プロセス」を強化することの重要性は教育場面でも言えること。「100点をとったから誉める」ではなく「これだけ頑張ったから誉める」という強化システムを徹底しない限り、子供の努力は強化されない。 しかし、食後の運動だけで体重が減らないことは私自身の失敗談を見ても分かることだ。この場合は、食事量の制限が必要になってくる。 上に述べた「死人テスト」に照らし合わせてみれば分かるように、「食べない」は死んだ人がもっとも得意とすることでもある。死んだ人にできないのは、「規則的に一定量以内の食事を取る」といった具体的な行動である。また、その際、しばしば失敗する「新年の決意」のように、何から何までいっぺんに変えてしまおうとするのではなく、実行可能な形で、少しずつ行動を変えていくことが必要。 ダイエットで難しいのは、適切な行動を強化するための好子(コウシ=強化子)がなかなか見つからないことだ。ダイエット以外の他の行動であれば「〜したら、好きな物が食べられる」というのはきわめて有力な好子になるが、食事量そのものを減らそうというダイエットで食物を好子に使うわけにはいかない。この場合は、社会的な好子の付加的強化が重要な役割を果たす。 それでもダメな場合は、「好子消失阻止の随伴性」あるいは「嫌子出現阻止の随伴性」を導入することだろう。「ダイエットしなければ供託金が没収される」とか「ダイエットしなければ深刻な成人病になる」ということを具体的な結果が伴う形で随伴させることである。 ちなみに、この種の阻止の随伴性は、多くの人々を動かす上で強い説得力をもつものだ。先日の会議で「大学改革は危機意識がなければ進められない」という主張を聞いた。これは「大学改革をしたらよいことがありますよ」という程度の「好子出現の随伴性」では、現状に満足している教員は動き出さない。「大学改革に取り組まないと大学がつぶれてしまいます」という「好子消失阻止」もしくは「嫌子出現阻止」の随伴性を強調すれば、どんなに現状に満足している人でも動かないわけにはいかない。 最初の話題のダイエットに戻るが、私自身の失敗の最大の原因は、こうした阻止の随伴性の欠如にある。健康診断で脂肪肝とか糖尿病の恐れを指摘されたら真剣に取り組むであろうが、「コレステロール値が境界値よりちょっと高め」程度ではどうしても油断してしまう。 |
【ちょっと思ったこと】
|
【今日の畑仕事】
キウイの枝を固定する網を張るが未完成。 |
【スクラップブック】
|