じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
サザンカの絨毯。岡大事務局前の広場には紅白(正確にはピンク色と白色)のサザンカがある。このところの寒波で花びらが半分ほど落ちて絨毯を作っている。 |
【ちょっと思ったこと】
声は触覚から伝わる 19時半からのNHK教育「にんげんゆうゆう」を見た。今回の話題は詩人の谷川俊太郎氏の「老いた母と言葉を交わす」。谷川さんは子供の時から母親に可愛がられて育ったが、その母親が年老いたある日、少し前に喋ったことをすっかり忘れたかのように同じ言葉を繰り返すようになった。それが痴ほうの始まりだった。 症状が進むと、母親は一日に何度も「お父さんどこへ行ったの?」と聞くようになる。最初はいつも「大学に行っているよ」と答えるが、もはや意味を持った言葉の交換ではなくなる。そこで谷川さんは、「大学に行っているよ」ばかりでなく「歌舞伎座に行っているよ」とか、時には冗談っぽく「いま外国に行っているよ」などと返事に変化をもたせて、「宇宙人になった」母親との交信につとめる。「言葉は意味から始まっているのではない。音声による言葉は触覚から伝わる」と言っておられたが、詩人の谷川さんの言葉だけにものすごい重みを感じた。 来年の春をメドに「ことば ルール 体験」というような仮題でシンポを計画しているところだが、このシンポでは、言語的教示の限界とそれに代わりうるものを追求したいと思っていたところであった。しかし、谷川さんが言っておられたような「肉声の混じり合い」は、もはや意味の交換としての会話ではなく、体を撫でたりさすったりするのと同じスキンシップになっている。言語的教示にいくら限界があろうとも、スキンシップとしての言葉の役割には変わらぬ意味があると言ってよいかと思う。 |
【思ったこと】 _01220(水)[心理]千禧年行為科学国際年會(2)内と外の随伴性、「日本的」vs「西洋的」という比較軸 台湾で行われた“International Congress on Behaviorism and the Science of Behavior(行為主義曁行為科学国際會議)”の報告の第二回。今回は、初日の朝に行われた佐藤方哉先生の基調講演「A behavior analysis of Japanese culture」について感想を述べさせていただこうと思う。 佐藤先生の講演(英語)は、行動分析の視点から、「文化」の基本を、行動随伴性、その随伴性によって形成・維持される諸行動、その諸行動の産物の総体として捉え、それらが世代を越えて1つのコミュニティの中で伝承されていくものであるとした。そして日本の文化を
講演では、この視点に基づき、豆まきなどの日本の伝統的な慣習、「旅の恥はかきすて」といったフレーズ、昨今の電車における携帯電話使用やその自粛をよびかける車内放送などの実例を引用しながら、「内と外」に象徴される日本型の随伴性の特徴が紹介された、。 この講演を拝聴しているときにふと思い出したのが、10/4に神戸大学・大学教育研究センターで行われた研究集会における椎貝博美・山梨大学長の基調講演であった。そこでは、大学の民族学的分析というタイトルで学長の位置に関連して
「日本vs欧米」という比較軸を持ち込んで複雑な現象を分かりやすく説明しようという試みはこのほかにも多方面で行われている。この日記でこれまでに言及した事例としては、
これらの論調で注意しなければならないのは、たとえ日本人のご先祖が農耕民族型、欧米人の先祖が狩猟民族型であったとしても、それがダイレクトに現代社会に反映するとは考えにくいということ。それを血筋、伝統、文化などの言葉で言い切ってしまうことはたやすいが、それでは科学とは言えない。「日本vs欧米」という比較軸を科学的アプローチとして成立させるためには、今の社会で、何が違いをもたらしているのかを同定する必要がある。その点で、行動随伴性の違いに求めた佐藤先生、あるいは言語の違いに求めた岩谷氏や松井氏の論調は、より説得力を持つものと言える。 |