じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
月齢9.0の月が土星の南2度7分を通過。写真の水色の矢印の先が土星。黄緑色の矢印の先は木星。このほか夕刻西の空には22日に最大光度を迎える金星が輝く。 |
【思ったこと】 _10202(金)[教育]生涯学習としての食心理学(2)「ばらずし」と「ちらしずし」 自治体主催の生涯学習大学の講座の6回目(私自身は4回目)に出席。今回の担当は、岡山市内の老舗の寿司屋の取締役会長さんで、「ばらずし」の研究家として全国にも名が知られている方だ。この日記では昨年10月17日の日記で、そのお店のことを取り上げたことがあった。 今回のテーマは「伝統食」。会長さんによれば、「郷土料理」という言葉はたくさんあるが、「伝統食」の定義はあまり見あたらない。少なくとも3代以上に亘って作られ食されたものを「伝統食」と定義するのが妥当であろうとの見解だった。 会長さんによると、先月の成人式で一部の若者が暴れたのは伝統食を食べていないことにも一因があるという。例えば納豆菌にも3系統があるというように、伝統食はそれぞれの地域独自の発酵食品が多く含まれている。それを食べることは、少なくともその地域内での耐性を増すことになり、すぐにキレない我慢強い体質を作るという御指摘であった。このほか、調理の手間が子どもに見える家庭環境を作ることも大切であると言っておられた。 この会長さんは、教育問題にも関心をおもちのようで、近くの大学の理事長さんのお話を引用しながら「近頃は自信の無い若者が増えている、まわりと一緒でないと仲間に入れて貰えないと考えている」とか、「コンビニや駅前の地べたに座って食べるのは、夜食ではなくて野食(やしょく)である」というお話もされていた。 さて、本題のすしの話に戻るが、そのルーツは、保存食あるいは果物以外から摂取が難しかった酢味の探求にあるという。もともとは、かなりの日数をかけて魚を発酵させて美味しく食べる習慣があった。そのうち、ご飯と混ぜると発酵が早まることが分かる。さらにご飯と一緒に食べる習慣、そして、さらに短期間で食すために酢を加える調理法が広まり現在のすしに至った。但し、ばらずしの場合は、調理工程や食材の特徴から見て、むしろ五目飯をルーツとするのが妥当であるらしい。岡山の城下町ではたびたび飢饉があり、熊沢蕃山がばらずしを奨励したという話も伝えられている。 岡山に来た観光客ばかりでなく、地元に住む人で、しばしば「ばらずし」と「ちらしずし」を取り違えてしまう。ばらずしの特徴をいくつか引用すると、
この講座でどの先生も強調されたことであるが、やはり、手間ひまかけて作ること、ゆっくり噛むことのおいしさが大切であることを改めて感じた。さて、次回はいよいよ私の担当となる。 |
【ちょっと思ったこと】
初詣のルーツ 2/3の朝日新聞文化欄「ここが変 文化の常識」の3回目で、高木博志・京大助教授が初詣のルーツを取り上げていた。私自身も、初詣はひょっとしたら古代から続く日本の伝統文化と思っていた部類であるが、江戸時代の正月は基本的に家の中で静かに迎えるものであったという。 初詣が盛んになったのは明治維新以降。もともと恵方からくる年神を家で迎える風習があったものが、自分から恵方にある神社に詣でるようになったようだ。そこにはまた国家神道の後押しがあったらしい。 そういえば卒業式や入学式の時に論議の的となる「国旗掲揚」や「国歌斉唱」なども日本の伝統行事とは言い難いところがある。江戸時代に各地で日の丸あるいは「江戸幕府の旗」をかかげて祝い事をおこなったという話は聞いたことがない。菊の御紋をかかげて戦ったのは、官軍の頃ではなかっただろうか。 [2/3追記]錦の御旗についてはこちらに解説があった。錦の御旗を見たことのある民衆はほとんどいなかったようだ。こちらによれば、錦の御旗が日月紋を使うようになったのは後鳥羽天皇(1185年)から後醍醐天皇(1339年)の間。室町時代からは菊家御紋章を打つものも現れた。 |