じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

1月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真] 洋蘭の花とミニシクラメン。洋蘭は3年目の株。窓際の水槽の上で育てているが今年も1輪だけ花を咲かせた。種名は忘れたがミニカトレアの一種ではないかと思う。





1月9日(水)

【ちょっと思ったこと】

「好きなタレント調査」
 19時台のNHKニュースによれば、今年度の「好きなタレント調査」の結果、女性の1位は久本雅美さん(初)、男性の1位は明石家さんまさん(4年連続10回目)になったとか。明石家さんまさんの番組は我が家でも妻や娘が好んで視ているのでなるほどと思うが、久本雅美さんがNo.1というのはちょっと意外だった。おそらく、女性を含めて幅広い層から好かれていることがトップまで押し上げてくれたのだろう。少し前の山田邦子さんや和田アキ子さんもそうだが、必ずしも若い男性のアイドルになるような女性タレントであるとは言い難い。ちなみに私自身が好きな男性タレントと言うと、御三家の中では、所>たけし>さんま、の順になるかと思う。女性タレントは、昔だったら、吉永小百合さんとか山口百恵さん。最近の女性タレントには全く興味が無いが、しいて言えば、「ためしてガッテン」とかクローズアップ現代に出演されているような知性的なアナウンサーが好みだ(←などと書くと妻に怒られそう)。





寿屋の思い出

 テレビのローカルニュースによれば、岡山県内にあるマイカルの系列の店が8割引の在庫処分セールを始め、多くの買い物客や「全商品が8割になると勘違いした」人が殺到したとか。

 いっぽう、同じ日には、すでに民事再生法手続に入っている寿屋(←それにしても、民事再生法手続き開始申立のお知らせとお詫びのurlが「lalalaosirase」とは皮肉なもんですなあ)が、大幅な店舗縮小の方針を打ち出したとのニュースがあった。

 寿屋と言えば、長崎県長与町(ながよちょう)に5年間住んでいた時、いろいろなおもちゃや、ベビー用品をよく買いにいったものだ。長与の店は町の中心部に位置しており、魚屋や八百屋の威勢のよいかけ声がひびく近くの商店街とともに毎日のように買い出しに行った。少し離れた時津町(とぎつちょう)浜田郷の店はもう少し規模が大きく、休みの日には、キムラヤキッチンへのお食事や、県民の森ハイキングの帰りによく立ち寄ったものである。ネットで店舗一覧を調べたところ、あれっ、長与店の名前は見当たらない。時津店のほうは現時点では健在なようだが、整理縮小の対象になるのだろうか。

 私が子どもの時に「デパートに行く」と言えば、渋谷の東横デパート(現在の東急・東横店)をさすのが普通であったが、子どもたち、特に、当時幼稚園に通っていた息子にとっては、「デパート」はまさに寿屋のことを意味していたのに違いない。なんとも残念なことだ。

 今年の春には、長崎在職時にお世話になった教授が定年退官を迎えるはずだ。挨拶を兼ねて長崎に行く機会があれば、寿屋のあたりにもぜひ立ち寄ってみたいと思っている。
【思ったこと】
_20109(水)[教育]「滅私奉公月間」始まる/「イヤです。したくありません」の同義語としての「ストレスになります」

 9日から私の受け持つ授業が再開した。大学によってはあと1〜2回で授業修了というところもあるらしいが、岡大の場合は2月第一週ぐらいまではぎっちり授業がつまっている。今年は特に、ハッピーマンデー対策のため、1月28日から30日に月曜日の時間割が組まれており、私の場合は、毎朝8時40分からの講義を3日連続で一般教養の授業を担当することになっている。

 1月はまた、修論査読と試問、センター試験、卒論締切前の執筆指導があり、2月に入ると、今度は卒論査読と試問、専門科目試験と採点、個別学力試験、大学院入試、リポート採点などが控えており、気の抜けない毎日が続く。

 TVニュースによれば、1月8日は小泉首相の60歳の誕生日だったそうだ。ずいぶん長いこと総理大臣の仕事をされているように錯覚してしまうが、昨年の今頃はまだ「神の国」、「教育勅語」、「滅私奉公」で名を馳せた?森首相の政権だったのだから、時の流れは早いものである。大学の教員の仕事はたとえ個人の研究であっても公共的な成果が求められるわけだから「滅私」には違いないが、この2カ月は、自分の研究をすべて棚上げにして教育に専念するという点で一段と「滅私」の度合いが高まっているとも言える。

 もっとも、2000年5月22日の日記で書いたように、「滅私」という概念にもいろいろな視点がある。見方によっては、「私奉公」と言えないこともない。教育の現場で、いかに自分を活かすか、自分以外の人が気づかないような鋭い視点をどこまで提供できるのかが試される時でもある。

 それから、このWeb日記は卒論生にも読まれている可能性があるのでひとこと言っておくが、上記の「奉公」というのは卒論執筆のお手伝いをしましょうということでは決してない。構成全体に問題点があればこちらで指摘するし、別の見方があればアドバイスもするが、あくまで自分の力で完成してこそ卒論に取り組んだ価値がでるというものだ。

 サービス過剰時代に育ったせいか、何かと「被験者(調査対象者)の数はこれでいいですか?」、「考察の分量はこのぐらいでいいですか?」などと主体性のない質問をしてくる学生までいる。教員に「よい」と言われて安心するのではなく、まずは自分で判断し、自分で根拠を探し、自信をもって主張してほしい。

 そうかと思えばちょっと厳しく指示を出すと「そういうことは私にとってストレスになります」などと平気な顔で反抗する学生も居る。もともと論文書きなんてストレスにならないほうがおかしい。「ストレスになりますのでできません」と言われると何となく「それではやむをえませんなあ」という気持ちにさせられてしまうが、それって「イヤです。したくありません。」というワガママを単に専門的な言葉に置き換えただけじゃないのかなあ。精神的な問題ゆえにハードな課題がこなせないというならある程度斟酌せざるをえないが、普通に生活できている学生が安易に「ストレス」を理由に指示に従わないとすれば考えものだ。