じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
四季咲き品種が増えたとはいえ、ハーブはやはり6月に咲く花が多い。ここに挙げた花は、その中でも最も美しい花の1つとして私が推奨するもの。といいつつ、名前を忘れてしまった。どなたかお教えいただければ幸いです。
[※6/18追記] ハーブ畑の掲示板でお尋ねしたところ、どうやら「サントリナ」が正解のようです。ありがとうございました。 |
【ちょっと思ったこと】
サッカーW杯1次リーグの「数学」 W杯1次リーグは14日の4試合を残すだけとなり、32チームの中から16強が出そろうことになるという。この1次リーグというのは、32チームが4チームずつ8組に分かれてリーグ戦を行い、それぞれの上位2チームをトーナメントに勝ち残らせるという仕組みであり、
私なりに考えた答えは以下の通り。誤りなどご指摘いただければ幸いです。 まず勝ち点を3としたのは、「引き分け2回」よりも「1勝1敗」のほうを「強い」と見なす思想があるためと考えられる。1勝2敗は、0勝0敗3分けと同等の強さであると言ってもよいだろう。もっとも、4チームでリーグ戦を行う限りにおいては、「1勝2敗」のチームと「0勝0敗3分け」のチームが同時に存在することはありえない。ありがちなケースとしては、Wチーム「2勝1敗→勝ち点7」のほうがYチーム「1勝2分け→勝ち点5」より強いと見なされる場合だろう。この場合、WチームがYチームに負けていることは数学的に明らか(Yチームはどこにも負けていないのでWチームの2勝の相手には含まれないから)だが、負けたチームよりも高い順位につくことになる。もっとも4チームのうち2チーム勝ち上がりというルールのもとでは、これ以外のチームにけ落とされることは無いので、文句は出ないのだろう。 2番目の「なぜ3チームや5チームではなく、4チームで?」だが、まず決勝トーナメントを平等に行うためには、勝ち上がるチーム数を2のベキ数、つまり8、16、32という数にする必要がある。現行どおり16とした場合、
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【思ったこと】 _20613(木)[教育]「日本を良くするために教育が果たす役割」と演者の魅力(後編) 昨日の日記の続き。 講演の前半では、戦前の日本の典型的な教育を受けた人物の中から立派な人物が育っていること、時代精神は変わるが、学問、知識を持つことの大切さはゼッタイに変わるものでない点が強調された。そうした中で、特に、家庭内において、父親は子どもに夢と希望を与える身近な存在でなければならないこと、また、妻が子どもと一緒になって父親をバカにするようなテレビCMは望ましくないことが強調された。父親に限らず、「大人は大人であるだけで子どもよりエライ」面があるという。このあたり、我が家では、そういう「秩序」は全く保たれていないようだ。 なお、このことは、「親はゼッタイに正しい」という教育をしろということではない。子どもは、親の良い面は学び、不完全な部分は反面教師として学ぶ。K女史の娘さんの場合は、母親を反面教師として、「決して不機嫌な顔を見せない」ことを学んだとか。 次に、教育現場に関して、K女史自らの体験が語られた。この方は、授業(英語)中の私語を決して許さなかったという。「教育の秩序を守るのは教師の責任」ということが強調された。もちろんそのためには、教師が真剣勝負で授業に取り組む必要がある。教師に対する敬意があれば、学級崩壊は起こりえない。 ご自身が専門とされる英語教育に関しては、「英語の力は母国語の力に比例する」と強調された。世の中には、バイリンガルとかマルチリンガルの達人も居るが、それは微々たるもの。たいがいの学生の場合には、母語のレベルによって思考のレベルも決まる。こうした視点から、英語教育の中では、本を読むということはどういうことか、読解力とはどういうことか、相手に伝える努力などについても教えてこられたという。 以上、私が聞き取れた範囲で、K女史の御講演の内容をまとめてみた。終了後、質疑の機会が与えられたので私からも一言: 先生は、御講演の中でたびたび「秩序」の大切さを強調しておられましたが、このことと「競争原理」との関係についてお考えをお聞かせ願えれば幸いです。例えば、堺屋太一・渡部昇一先生の『競争の原理』では、秩序を重んじる孔子の思想は、「能力を競い合うようなことはまずい」という棲み分けの思想として批判されているようです。企業内での年功序列破壊、リストラなどと、「上司に敬意を示す」という秩序との関係はどうなるのでしょうか....というような内容であった(←あくまで長谷川の記憶による)。これに対するK女史のお答えは
最後にK女史の最大の夢が実現されるかどうかということについては、私自身は非常に厳しい現状にあると思っている。それは、多くの人間は、結局は、自己の保身と安全と経済的なメリットを優先して判断を下すからである。何はともあれ、平和的な解決を心から願っている。 |