じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 文学部西側のサルスベリ。今年は「オモテ年」にあたり、花のつきが良い。


7月24日(土)

【思ったこと】
_40724(土)[一般]久しぶりにプラネタリウム

 生涯学習講座の最終回の講義を終えたあと、隣接する科学センターでプラネタリウムを楽しんだ。プラネタリウムと言えば、中学生の頃は、渋谷の五島プラネタリウム友の会に入って毎月通った時期もあったが、最近は全くご無沙汰している【】。
五島プラネタリウムの資料はこちら。小さなプラネタリウムとしては昨年8月下旬に、津和野の安野光雅美術館プラネタリウムを訪れたことがあった。もう少し規模の大きいものとしては池袋・サンシャシンプラネタリウムが最後(←現在ではスターライトドームとなっている)。

 今回入館したプラネタリウムは、映画館のように観客席が一方向だけを向いていた。かつての五島プラネタリウムのように、中心の投影機を囲んで円形に座席を配置しているのとは異なっていた。この施設では、全天周映画も上映しているということなので、このほうが都合がよいのだろう。

 では、西の空、南の空、東の空、...というように向きを変えて説明する時はどうすればよいか。ここでは、投映機の方向を変えることで、正面を西空や南空に変えていた。五島プラネタリウム時代は、投映機に邪魔されてその向こう側の「空」が見えなかったが、「観客席を固定し、投映の向きを変える」というのは見事な発想の転換であると思った。




 さて、以下はプラネタリウム一般についての私の考えだが、とにかくプラネタリウムとして投映するからには、その機能を最大限に活かし、それぞれの恒星の特色、その星座の向こうにある別の銀河、ブラックホールなどの神秘をわかりやすく紹介することに力を入れてもらいたいと思う。

 ところが、実際のプラネタリウムのプログラムというのは、どの施設でもだいたい説明の順序が決まっていて、まず、施設周辺の景色の紹介、そしてその日の夜に見える主な星座の解説、そして後半は毎月の話題(ビデオ自動上映など)という構成になっている。

 後半に毎月の話題を設けるのは、リピーター入館者の確保、解説員の人件費削減という点では有効かもしれないが、宇宙の本当の面白さは、やはり宇宙の中にしかない。2003年2月6日の日記にも書いたように、ありきたりの星座の説明と星座にまつわる伝説では、宇宙に興味を持たせることはできない。天文に興味を持つということは、地球の外の世界への好奇心から生まれるものであって、神話や伝説にロマンを感じるからではないからだ。投映では見られないとしても、例えば、冥王星や海王星はいまどの位置にあるのか、それらの惑星について何が分かっているのかを解説したら興味を引き立てることができる。ネットで毎日のように配信されている天体写真も、著作権をクリアした上でどしどし投映したらよいのではないかと思う。




 ところで、今回も思ったことだが、プラネタリウムで投映される星座って、夜空に浮かぶ本物の星座に比べてどうしてあんなに小さく見えてしまうのだろう。例えば、夏の大三角形(←これ自体は星座ではないが)の大きさを、投映された時の主観的な大きさの印象と、その日の夜に見えた本物についての印象で比較してみたが、やはり本物のほうがはるかに大きく見えた。

 知覚心理学についての乏しい知識から言えば、ある程度以上の規模の大きさのプラネタリウムでは、目の焦点は殆ど無限大に、また、両眼の視差や輻輳を手がかりとした距離感は出てこなくなるはずだ。となると、星座の大きさは、自分の目を中心とした、星と星との角度の大きさだけで決まるはず。であるならば、ドームの天井に投映された夏の大三角形と本物の大三角形は同じ角度の開きとなり、同じ大きさに見えるはず。

 あるいは、本物の空では、周辺の景色との対比で大きく見えるのだろうか。月の錯視の原因の1つと共通しているかもしれない。

 ついでながら、夜空の星を見るときは天空は丸天井のように見える一方、流れの速い雲がある時には、天空は、平らな天井のように見えるというのは興味深い。雲の場合は、地平線から天頂にづくにつれて大きくなるので、丸天井を這うような動きには見えないためだろう。いっぽう、星座の場合には、地平線にある時と天頂付近にある時は同じ大きさに見える。というか、むしろ、地上の景色から離れた天頂付近のほうが大きく見えたりする。本当は、夜空は無限の空間であって丸天井ではなく、また雲が浮かぶ大気圏は、ごくゆるやかな球体の凸面になっているはずなんだが。