じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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[今日の写真] [今日の写真] 京都大学で行われた日本質的心理学会第1回大会の盛況ぶり。予約申込者の4倍近い当日参加者が押し寄せ、受付所(教育学部)前には長蛇の列ができた。


9月11日(土)

【思ったこと】
_40911(土)[心理]日本質的心理学会第1回大会(1)グラウンデッド・セオリー

 京都大学で行われた日本質的心理学会第1回大会に参加した。質的心理学に関する学会としては、最近では、3月下旬に行われた日本発達心理学会のシンポ(3月23日の日記及び、その翌日の日記参照)に参加したことがあった。今回の第1回大会はその時にも予告されていたもので、日本における質的心理学研究は、これで、歴史に残る第一歩を踏み出したことになる。

 ちなみに私自身は、過去において質的心理学の方法で研究を行ったことは一度も無いし、今後も自らの手でそういうことは行う予定は無い。但し、最近、私の大学では「質的研究」らしき方法で卒論や修論を書く学生が増えており、少なくとも、成績評価を適正に行う必要上、そのロジックをある程度知っておかなければならない立場にある。なお、私がこれまでに知っていたのは、概論書やシンポで耳学問程度に得た知識をこちらにまとめた程度のことである。今回の大会でどこまでその内容を「更新」できるか、大きな期待を込めて参加した。




 午前中は、「質的研究の方法論〜KJ法とグラウンデッド・セオリー〜」という大会シンポから始まった。上にも写真を載せたように、この大会には、当日参加希望者が予約参加者の4倍近く押し寄せ、受付の教育学部前には、開会予定時刻になっても長蛇の列が続き、サトウタツヤ氏があたふたと交通整理をしていた。

 とうぜん、会場(文学部第三講義室)にも人が入りきれず立ち見を余儀なくされた人たちも多数あった(私自身は、何とか窓枠に腰掛けて拝聴できた)。予想以上の大盛況はまことに結構だと思うが、これってけっきょく、質的心理学者は(参加者数についての)量的予測ができないという証明になるのではないかと、ちょっと皮肉ってみたくなる。

 さて、シンポでは、やまだようこ氏による企画主旨説明に続いて、まず、グラウンデッドセオリー(Grouded theory、以下「GT」と略す)の紹介者でもありStrauss氏の弟子でもある水野節夫氏と戈木クレイグヒル滋子氏が、GTの現状や、実践例について紹介された。

 このうち水野氏の話題提供は、「GTの分析的ポテンシャル」はどういうところにあるのかという内容であったが、私自身が勉強不足のこともあって、率直なところあまり理解できなかった。唯一理解できたのは、ひとくちにGTといってもいろいろな流れがあり、水野氏はそのうちのCM派(Case Mediated Approach)、いっぽう水野氏によれば、戈木クレイグヒル氏のほうは「GTオーソドックス派」であるということ。

 水野氏の話題提供の中では、GTに関する議論と批判に関して
  • GTは帰納的アプローチか?
  • GTは月並みなカテゴリーを生み出してしまうのではないか
  • Strauss氏らのコード化枠組みについての批判的論評
という3点を挙げられ、これについて、種々の文献を引用しながら見解を表明された。私にとってそれが分かりにくかったのは、多様な見解のうちどれだ妥当なのか、どういう手法を採り入れるべきであるのかについて、証拠らしきものがあまり提示されておらず、「ぼくの立場はこうだ」という立場紹介のような印象を受けたためではないかと思う。限られた時間の中ではやむを得ないかもしれない。

 このほか、今後、私自身も考えてみたいと思うキーワード(フレーズ)を列挙すると
  1. GTは瑣末な知識を作り出してくるという危険
  2. 部分情報から全体認識へといたる論理をどう考えるか
  3. 突然の全体認識としての“結晶化”認識
  4. 飛躍面=断絶面がアブダクションの契機
  5. 素材を潜り抜け、素材に晒され、素材からの刺激を受けながら、(その過程で)着目すべき概念群を見つけ出してくるという基本姿勢を大切にする
ということになる。現時点での私の理解では、このうちの5.は、「データをじっくり検討し、カテゴライズしましょう」という言葉を、わざと難しい言葉に置き換えただけの表現にしか見えない。具体的な分析・総合のプロセスが明示されないと(←各種著作ではすでに明示されているのだろうが)、何だか、精神主義(分析にあたっての心構えを精神主義的に表現しただけ)に終わってしまいそうな気がした。そうなると、数冊の入門書をかじった程度で、GT法に基づいて卒論や修論を書くというのは容易なことではなかろう。




 いっぽう、次の戈木クレイグヒル滋子氏の話題提供は、小児病院勤務の看護師の語りや、「家を建て替えよう」ということについてのいろいろな表明を具体例として、GT法の基本であるプロパティ(各概念がどんなものなのかを暴くための視点)とディメンション(それぞれのデータをPから見た時にどこに位置づけるか)に沿って分析、さらに、フリップフロップ(正反対の事例を考えてみる。例えば、全くストレスを受けない看護師の事例)の手法などについても言及された。

 話が具体的であった分、わかりやすかったが、今回の話題提供で知り得た限りで言えば、例えば「不全感の蓄積」というような表現は素朴概念の域を超えておらず、そこから問題解決の糸口が見いだせるものなのかどうかは確信が持てなかった。

 シンポの後半は、いよいよKJ法創始者の川喜田二郎氏のお出ましであったが、時間が無くなったので次回に続く。