じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 銀木犀(左)と柊木犀(右)。岡大構内を含め、ヒイラギモクセイ(=雑種)のほうが圧倒的に数が多い。どちらも雌雄異株で、日本では雄株しか渡来しておらず、もっぱら取り木で増やしているという。


11月2日(火)

【ちょっと思ったこと】

岡山の回転寿司争い

 11月2日の夕刻、民放2局が同時間帯に「激戦・回転ずし戦争に密着」と「秘策で勝負の回転ずし店戦略ほか」という特集をやっていた。なぜこの時期に?と思ったが、どうやら、11月1日に、「おんまく寿司」のチェーン店が岡山市青江のほうに岡山県内初店舗として開店し、回転寿司競争が激化したためであるらしい。

 瀬戸内海、日本海、太平洋3つの海から魚介類が集まるせいだろうか、岡山というのは「ばらずし」ばかりでなく、回転寿司にも縁が深い土地柄のようである。フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』で「回転寿司」から「主な回転寿司チェーン」を調べると、店舗数第三位にマリンポリス(約140店)、同じく第七位に函館市場(直営FCあわせて40店舗)というように、岡山に本社を置くチェーン店が二社ランクされていることが分かる。私自身もマリンポリスの本店営業部と東川原店、函館市場の新屋敷店や津高店を利用することが多い。

 番組では、「おんまく寿司」開店の一日のほか、迎え撃つ「函館市場」と、小規模ながら社長自らが買い付けに走るという「廻る寿司船」を紹介していた。

 私が岡山に来た頃には、まだ「函館市場」は存在せず、マリンポリスと「すし王倶楽部」の店舗が競っているように見えた。場所が近いこともあって「すし王倶楽部」のほうをよく利用していたのだが、今は私の住む地域には一店舗も存在していない。マリンポリス系の一部の店舗は、105円均一寿司のしーじゃっくに模様替えしている。

 「マリンポリス」と「函館市場」はそれぞれ特色があり、棲み分けがうまくできているように思う。安さ、素材、地物の豊富さという点では、マリンポリスのほうが優れているように思う。「函館市場」のほうは、サンマルク系だけあって、行くたびにアンケートを書かされる。それに応えると、毎月のようにプレゼントや割引の葉書が届くようになるので、葉書持参で来店することが多い。しかし「マリンポリス」に比べると割高のメニューが多く、結果的に五割増の出費となる。どちらの系列も、土日の昼や夕刻には長時間待たされることが多い。まだまだ新規参入の余地は残っているように思われる。

【思ったこと】
_41102(火)[心理]高齢化社会における共生の知恵(3)高齢者とのおつきあいスキル

 10月30日に行われた日本社会心理学会・第48回公開シンポジュウム「高齢化社会における共生の知恵を探る〜加齢(エイジング)をめぐる社会心理学〜」の感想の続き。

 シンポの4番目は、田中共子氏(岡山大学文学部)による

●高齢者とのおつきあいスキル −交流の中で見つけるソーシャル・スキル−

という話題提供であった。

 田中氏は、まず「若者とお年寄りの間で、おつきあいが進まない原因」を予備調査した。その結果、おつきあいが進まないのは、必ずしも相互に関心が無いからではなく、その一因が「高齢者とのおつきあいスキル」の不足にあるということが示唆された。そこで本調査で、日頃地域のお年寄りと上手におつきあいをしている19人(民生委員やヘルパー、ボランティアなど)に半構造化面接調査を行い、KJ法によりカテゴリー化した。抄録にはその結果に基づいて作成された「お年寄りとのおつきあいスキル チェックリスト」34項目が紹介されていた。

 田中氏の話題提供内容は、一連のソーシャルスキル研究の枠組みで行われたものである。ディスカッションの時に出された言葉を借りるならば、「水に入って遊ぶには、まず泳ぎ方を身につけなければ」ということであり、我々に必要な知恵であると言えよう。

 しかし、これを「共生」あるいは「交流」という枠組みでとらえる場合には、さらにつっこんだ議論が必要であるように思った。

 まず、そもそも交流に必然性があるかどうかということ。もちろん、介護施設職員やセラピストのようにサービスを提供する側の人々にとってはソーシャルスキルは欠かせない。しかし、世代間の交流を促進するためには、スキルの習得だけでは不十分である。南の島に住む人々にラクダの乗り方を教えても役に立たないし、砂漠で暮らす人々にカヌーを教えてもやはり役に立たない。

 また、仮に海の近くに住む子どもに泳ぎ方を教えたからといって、それだけで泳ぐ行動が活性化されるわけではない。行動分析の立場から言えば、行動を強化する仕組みを作らなければ、長続きさせることはできないのである。なおこの件に関して、田中氏は、研究の目的はあくまで限定的であってこれだけで十分というわけではないこと、この研究を含めた諸成果の集積が必要である(←あくまで、長谷川の記憶に基づく表現)というような回答をしておられた。

 「共生」や「交流」を前提とする以上、高齢者側にもソーシャルスキルが求められるのでは?という声も出てくるかと思う。もっとも、ここでいう高齢者には、痴呆症や寝たきりのお年寄りも含まれている。痴呆症のお年寄りに「もっとソーシャルスキルを身につけなさい」と要求しても限界があることは分かり切っている。ま、このことに限らず、一口にお年寄りといってもかなり多様であり、あまり万能なスキルを目ざすと、お年寄りを子ども扱いしかねないという心配も出てくる。

 次回は、「交流の必然性」について考えてみたいと思う。