じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真]  岡山では、11月13日以降、16、17、20、21、そして22日と、最低気温が10度未満の日が多くなってきた。半田山のイエローバンド(昨年は11月28日、2002年は2002年11月14日の日記に写真あり)も次第に鮮明になってきた。

 そんななか、グラウンド隅では、なぜかツツジ(オオムラサキ)の花が一輪咲いていた。


11月21日(日)

【ちょっと思ったこと】

平日に大学祭が行われる年

 岡山大学祭が11月20日(土)から22日(月)まで開催されている。例年、11月3日、11月23日の祝日を含んだいずれかの連休に開催されることになっているのだが、今年は、曜日の巡り合わせが悪く、最終日は22日(月)の平日であり、23日は後かたづけに充てられることとなった。

 岡大では大学祭は3日間開催されることになっているが、平日が含まれるのは珍しい。カレンダーを見ながら、どういう年にそうなるのか考えてみた。
  • 11月3日の文化の日と23日の勤労感謝の日は20日ずれているので、例えば3日が水曜日であるとすると、23日は1つ前の火曜日になる。
  • 3日間の開催期間に平日が含まれるのは、3日が水曜日(23日は火曜日)または、3日が木曜日(23日は水曜日)という年に限られる。なお、3日が日曜日と重なる時は4日(月)が振替休日で2〜4日の三連休。3日が土曜日と重なる時は、23日が金曜日となって23〜25日まで三連休となる。
  • 1年は365日または366日なので、平年の時は1日ずつ、閏年の時は2月29日以降から2日ずつ、曜日が先のほうにずれていく。
  • 1年が常に365日であるならば、7年に1回、同じ曜日が回ってくる。しかし閏年の時に、1日分飛び越すので、確実とは言えない。
 曜日と日にちは、4年に1回ずれることと曜日が7種類あることから28年周期で一致するようにも思えるが(実際、2032年、2060年、2088年は2004年と同じ曜日になる)、じつは、現行のグレゴリオ暦は「100で割り切れて、かつ400では割り切れない年は閏年としない」という補正を行っているので、2100年以降はこの通りにはならない。

 場合分けをしていくと面倒なので、自作プログラムでカレンダーを作る時には、Zellerの公式を使うことが多い。但しこれは理論的な公式ではなく、1583年から2099年までで逸脱しないように近似された予測式にすぎない(2100年になった時に、2100年が閏年でないことを修正すれば3999年まで有効になるらしい)。

11/22追記]
2005年度の岡大祭は、11月19日(土)〜11月21日(月)。22日(火)が後かたづけ日に設定されている(あくまで予定)。21〜22日の平日が2日間も休講となるのは異例であるが、これは2005年度おかやま国体関連イベントがらみで、11月上旬期間(11月3〜6日)の開催に支障が出たためであると聞いている。

【思ったこと】
_41121(日)[心理]日本理論心理学会第50回大会(10)日本発の理論を考える(その5)理論不毛の原因

 しばらく間を空けてしまったが、11月6日〜7日に開催された日本理論心理学会第50回大会の話題。話題提供3番目の

●江川■成氏(■:「王」に「文」、十文字学園女子大学) :日本発の理論を考える-理論不毛の原因と今後の課題-

について感想を述べさせていただく。

 江川氏は、わが国に心理学が入ってきて以来、独自の理論を提唱する心理学者がごく少数であることについて4点の理由を挙げておられた。長谷川のほうで要約させていただくと、
  1. 科学研究のあり方、何が大切か、についての理解不足。
  2. 科学研究の要件についての理解不足。
  3. 欧米追随。「理論は外国産でよい」とする考えないし態度。
  4. 日本人が提唱した理論を正当に評価する風潮がないに等しい。
となる。

 江川氏のご指摘はまことにもっともであり、特に3.や4.の傾向は特に強いように思う。もちろん、科学理論に国境は無いので「日本独自」をことさら強調する必要は無いが、理論が育たなければ結局、独創的な研究も育たない。実験心理学の領域では特にそういう傾向が強いように思う。

 江川氏は、これを改善するための今後の課題として、3点を提唱された。長谷川のほうで要約させていただくと、
  1. 学部や大学院で、科学認識論的事項を扱う授業を行う。
  2. 学部や大学院で、心理学の処理論を科学認識論の視点から分析・考察する授業を行う。
  3. 心理学の各学会で、実証的研究ばかりでなく理論的研究も投稿可能にする。
となる。

 このうち、3.に関しては、以前より『心理学評論』誌である程度、理論的な視点からの考察が行われていた。しかし、私が関わっている分野に限って言えば、諸理論の比較考察が中心で、独自の理論を新たに提唱するところまでは至っていないように思える。

 1.や2.については、私自身も授業で取り上げたことがあるが、どちらかと言えば、研究法の比較であって、理論そのものには至っていない。但し、短い期間に卒論や修論を書き上げるとなると、方法論を身につけるのが精一杯という気もする。

 次回に続く。