じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 千波湖畔の緑地を行進する白鳥一家。至近距離から撮影しても怖がる様子が無い。8月6日にはここで花火大会が開催されるというが、黒鳥や白鳥は鴨たちが打ち上げの音と光でパニックに陥ることは無いのだろうか。


7月31日(日)

【ちょっと思ったこと】

今年の夏の天気と台風

 昨日の日記に「一雨欲しいものだ」と書いたところ、その後岡山市では、8時台から10時台の3時間に合計40.5ミリの猛烈な雨を記録した。雨量が記録されたのは7月12日以来、植物たちも生気を取り戻したことだろう。

 さて、南の海では、台風9号(マッツァ)が発生したという。デジタル台風の気象衛星画像を見ると、まだ未発達ながら雲の渦はきわめて大きい。気象庁の予想では、8月4日の03時頃に台湾北部を中心とする予報円内に到達する見込みとなっているが、昨年夏のように、発生した台風が次々と進路を日本に向けるということは無かろうなあ。なお米軍は、沖縄の南から東シナ海の真ん中に進む進路を予想している。

【思ったこと】
_50731(日)[心理]行動分析学会水戸大会(1)“罰なき社会”の探求(1)

 7月29日から31日まで水戸市の常磐大学で開催された日本行動分析学会第23回年次大会に出席した。この学会の年次大会にはほぼ毎年参加しているが、年を追うごとに規模が大きくなり、また若手の参加者の比率が多い。今後も発展が見込まれるものと思う。

 本日は、記憶の新しいうちに、3日目に行われた大会実行委員会企画シンポジウム:

司法において心理学に期待されるもの、「罰なき社会」の探求(What is expected of science of behavior in judicial field, search for a non-punitive society.)

について感想を述べることにしたい。話題提供者と指定討論者は以下の通り(敬称略)
  • 企画・司会:伊田政司(常磐大学)
  • 話題提供:向井義(広島少年院)
  • 話題提供:岡田和也(法務省保護局)
  • 話題提供:佐藤方哉(帝京大学)
  • 指定討論:小柳武(宇都宮少年鑑別所・常磐大学被害者学研究科講師)
  • 指定討論:渡部真理(ニューヨーク市立大学)
 今回の開催校である常磐大学は、常磐大学国際被害者学研究所を設置している。この種の研究教育機関は全国でもたいへん珍しい。今回のテーマは加害者側の諸問題(少年非行の量的・質的変化、更生保護のあり方、再犯防止、医療観察制度...)が話題の中心であったが、現場のトップの方々を招くことができたのは、被害者学研究を中心とした日頃の実績があればこそ。今後のご発展に期待したい。

 さて、今回のテーマに含まれている「罰なき社会」というのは、1979年、スキナーが来日した際、慶應義塾大学で名誉博士授与記念講演として行われた

●Skinner, B. F. (1979). The non-punitive society. Commemorative lecture, Keio University, September 25. [「罰なき社会」という佐藤方哉氏の邦訳付きで『三田評論』8・9月合併号に掲載され、『行動分析学研究』1990年第5巻、87-106.に転載]

に由来している。話題提供の中で佐藤方哉氏も言及しておられたが、スキナーの晩年の根本思想は、上記の慶應大学における講演と、日本心理学会における招待講演の中で初めて披露された。佐藤氏はこのほか、今回のテーマに関連する文献として、
  • Skinner, B. F. (1948). Walden Two.. New York: NY, Macmillan.
  • Skinner, B. F. (1971). Beyond freedom and dignity.New York:NY,Knopf.
  • Skinner, B. F. (1981). Selection by consequences. Science, 213, 501-504.
  • Skinner, B. F. (1986). What is wrong with daily life in the western world? American Psychologist, 41, 568-574.
を挙げておられた。

 もっとも、佐藤氏が紹介された「スキナー語録」は、スキナーのユートピア思想と、人類が理想とすべき方向を指し示すものであった。いっぽう、少年院における処遇や更生保護に関する話題は、「罰的」統制だけではダメで別の方策を併用していかなけれならない、というかなり現実的な内容であった。内容的に関連性があるとは言え、その間にかなりの隔たりがあったことは否めない。

 個人的な感想として、スキナーが理想とした、「罰的統制を無くし、能動がポジティブに強化される社会」というのは、100人規模のコミュニティ、例えば、地域社会、学校教育、高齢者福祉施設などでは大いに実現できると思う。しかし、同じ原理を何万人、何十万人、何百万、何千万、...という都市や国家レベルに適用することは、現実には非常に難しい。というか、理論的には正しいとしても、コストがかかりすぎるのである。

 もし世の中が善良な市民だけから構成されているのであれば、防犯やセキュリティに費やすコストは今より遙かに少なくて済む。もちろん、交通整理をしたり、不注意な事故を処理するための警察は必要かと思うが、犯罪捜査、刑事裁判、刑務所などは全く不要。そういうところでは、スキナーが理想とした社会に近づけることは可能であろう。現に、人口100人規模の山村や、高齢者施設内部ではそういう社会を作り上げることにある程度成功している。

 しかし、人口何万人もの都市型社会の中では、便利さの追求とセキュリティ対策はしばしば拮抗する。便利なシステムを作れば作るほど、一握りの犯罪者の悪意ある行為に対しては脆弱となる。そういう意味では、理想社会としての「罰なき社会」と、現実場面で犯罪を抑止するためのシステム作りを一貫させる必要は必ずしも無いと思う。次回に続く。