じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 初詣先の某神社で見かけたポスター。この種の内容のポスターが登場したのは、神武天皇以来初めてのことか。


1月2日(月)

【ちょっと思ったこと】

年末の活気と年始の虚しさ

 12月28日から31日のあたりは、一年中でもいちばん仕事がはかどる時期であるように思う。世間全般が一斉に正月の準備に取り組んでいる活気に触発される部分もあれば、年内にこれだけのことは仕上げておこうというように具体的な目標が立てやすく、かつ、時間が限られていて先延ばしが出来ない状況に自らを追い込むことができるためではないかと思う。

 ところが年が明けてしまうと、もはや、「年内にこれだけは」というような差し迫った目標が立てにくい。周囲はテレビなど視てゴロゴロしている。そして何よりも、元日が終われば「1年の残りが早くも364日だけになってしまった」という、時の流れの速さに対する虚しさを感じてしまうのである。

●年末の時間は「残され、使うべきもの」、年始の時間は「失われていくもの」

【思ったこと】
_60102(月)[一般]新年の抱負

 今年はめずらしく国内で正月を過ごしたので、日記の性質上、三が日が終わらないうちに新年の抱負というものを述べるのがスジであろうと思う。

 まず、自分自身にとって何が一番大切かと言えば、健康である。中学・高校の同窓生の中には、すでに肺癌や心不全などで亡くなられた方もいる。私の母は60歳の時に胃癌で早死にしている。私もその血筋を引き継いでいるので、いつ癌になるのか分からないし、各種生活習慣病も恐い。

 そのこともあって、とにかく、正月から規則正しい生活を続けるよう心がけている。岡山に戻ったら再び、早朝と夕食前の散歩を欠かさず続け、徒歩出勤を励行したいと思っている。

 年1〜2回の海外トレッキングも、それ自体が楽しみであると同時に、それを目標にして日々、トレーニングに励むことが結果的に健康増進につながる。2006年の夏のトレッキング先としては、北欧最高峰登山を考えているが、例年、催行されるかどうかは微妙。その場合、行き先がハワイの火山になるか、カムチャツカの火山になるか、チベットになるのか、アフリカになるのかは、すべて成り行きしだい。




 さて、肝心の研究面の抱負であるが、私が目ざしているのはあくまで「行動随伴性による人間理解と、その応用」である。近頃「長谷川は社会構成主義にはまっている」という噂もあるようだが、こちらにも記したように、Gergenらの著作から知りうる限りの社会構成主義に関しては
  • 認知主義や、実験的方法への批判はほぼ正しい
  • 徹底的行動主義への批判は、誤解に基づく部分が多い。徹底的行動主義と方法論的行動主義の混同が多い。
  • 物理的な世界は絶対的な存在ではないが、個体が働きかける対象は「客観的に記述可能」。
  • 関係性概念は結局、随伴性世界に他ならない。
  • スキナーの言語行動理論ぬきには、さまざまな「言説」をめぐる議論はできない。
というのが、現時点での私の考え。従ってこれからの方向としては、社会構成主義が言う「関係性」を「随伴性」を基本とした行動分析の言葉で捉え直す仕事が中心とならざるをえない。もっとも、行動分析が絶対的に正しいと考えているわけではなく、特に、高齢者の生きがいのような問題を考える時には、もっと全人的で長期的な変化に目を向ける必要があると思う。この意味では「行動分析」よりもむしろ「行動総合」という新たな視点が求められるし、その構築にあたって社会構成主義は有益な示唆を与えてくれると考えている。

 なお本年6月3日〜4日には、私のところで「人間・植物関係学会2006年大会」を開催する予定である。学会開催の基本は世話係に徹することであるが、この学会の研究の流れとして、従来の「短期間の生理的変化」の実験的「検証」より、むしろ、長期的な視点に立った質的研究の意義を重視する方向に変えていくことができればいいなあと思っている。もちろん、美しい花壇の前で短時間過ごしたり、園芸作業にちょっとだけ参加するだけでも多少の「癒し」効果は期待できるだろうが、園芸療法の効用をそれだけに閉じこめてしまうのは勿体ない。たまたま、1月3日朝のNHKハイビジョンで海外のガーデニングの紹介をやっていたが、あそこで紹介されていたのは、庭造りをする人々の人生がそれぞれの庭にどう映し出されているか、また、その庭を中心としてどういう人生を楽しんでいるかということであった。こういう長期的な視点、人生と庭(もしくは自然)との関わりのような部分に目を向けていかなければ、ホンモノの「人間・植物の関係」に迫ることはできないというのが私の考えである。