じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
1月6日朝は、日の出時刻を過ぎても、南の地平線付近の晴れ間を除いて空全体が雲に覆われていた。その日の夜に放送された「インデペンデンス・デイ」という映画に巨大物体がニューヨーク上空を覆うシーンがあったが(映画自体は観ていない)、たぶん、もし本当にそういうことが起こったらこういう景色になるのだろう。なお、皆既日食の時も、同じような形で月の影が空を覆う。 |
【ちょっと思ったこと】
車につけるしめ飾り 北九州で正月を迎えた時、自動車用のしめ飾り(=車の外側につけるタイプ)が全く見あたらなくなっていることに気づいた。岡山に戻る途中に立ち寄ったSAでも、また岡山に戻った後、付近の駐車場を見渡してみても、飾りをつけている車は見あたらなかった。 以前は、殆どの車につけられていたのに何が起こったのだろうか。考えられる原因としては、
ちなみに、私が子どもの頃は、それぞれの家の門柱のところに門松を飾ったものだったが、これも最近では滅多にみかけなくなった。これは、ゴミをなるべく減らそうという自治体の方針によるものかもしれない。もっとも、松や竹などというのは、適当に剪定や伐採をしたほうが全体の生育環境を整えることになると思うのだが。 |
【思ったこと】 _60106(金)[一般]どちらにしようかな? 昨日の日記で、 ●TBS系「決定全国47都道府県超ランキングバトル で県民性偏見差別が起こりうる可能性について危惧を表明したところであるが、あの番組の中では、「県民性」とは直接見解のない話題もいくつか取り上げていた。 私がたまたま視たのは ●「どちらにしようかな カミさまの言う通り〜」の後にどういう言葉が続くのか について地域差を紹介したものであった。 これは、子どもの頃、「1つだけあげるよ。好きな方をとりなさい。」などと言われた時、選択を「神様」に委ねるというもの。番組では「カミさま」のところが「天の神様」になっていた。また、私自身は、「どちらにしようかな」ではなく「どれにしようかな」であったように記憶している。 ああいう形で何かを選んだのは幼稚園の頃ではなかったかと思う。とにかくああいう形で選べば、ぐずぐず時間をとられることはないし、選んだあとで「もう1つのほうにすればよかった」と後悔することもない。 しかし、ある程度考える力がついてくると、この選び方では、最初から選ばれるものが決まってしまっていることに気づく。左右2つのモノに対して、左から交替に ●どちらにしようかな かみさまのいうとおり と指さして行けば、これは19文字なので、必ず、左側に置かれたモノが選ばれることになる。 ある時、年上の子から、この言葉のあとには「なのなのなのな」とつけるのが正しいと教わったことがあった。「なのなのなのな」というのはどういう意味か今でもさっぱり分からないが、これをつけると、 ●どちらにしようかな かみさまのいうとおり なのなのなのな というように26文字となって、左から交替に指さした場合は、右のモノが選ばれることになる。要するに、「なのなのなのな」という呪文は、神様に選んでもらったものが気に入らない時にそれをもう1つのモノと取り替える力があったのだ。 ネットで検索したところ、こちらに、「どちらにしようかな」のあとに続く言葉がいろいろと紹介されていることが分かった。「なのなのな」の5文字をつける言い方はけっこうポピュラーのようだ。「なのなのなのな」の7文字と同様、これをつけることで選ばれるモノが反転できる。 けっきょくのところ、選択を迫られた子どもは、じつは最初から欲しいものは決まっているのだが、直に欲しいというと意地汚いように思われるので、わざと「かみさまのいうとおり」に委ね、さらに、それを反転させる必要がある時に「なのなのな」などの奇数文字列を付け加えたのかもしれない。 |