じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 講義棟南側の日だまりで咲くオキザリス(花カタバミ、品種はバリアビリス)。昨年の写真はこちら2003年1月17日の日記にも写真があるが、この時よりは花の数が少ない。



1月17日(火)

【思ったこと】
_60117(火)[心理]医療・看護と福祉のための質的研究セミナー(3)量vs質というより...

 1月15日午後に大阪府立大中百舌鳥キャンパスで行われた

医療・看護と福祉のための質的研究セミナー「あなたにもできる質的研究:着想から投稿までのノウハウを教えます」

の参加感想の3回目。

 さて、一昨日の感想1回目のところで、「量的研究は、質が悪くても、なにかをしたような体裁を保つことはできる。しかし、質の悪い研究は,....」と指摘されたことを引用したが、表面的にはこれは、「質か量か」、つまり、データを量的に扱うのか質的に扱うのかという議論であるように受け取られがちである。しかし、私の紀要論文:

スキナー以後の行動分析学(12) 行動分析と質的研究

でも述べたように、議論の本質はもう少し別のところにある。早い話、「質が良い」「質が悪い」、あるいは「生活の質の向上」などと語ること自体、すでに量の概念が入ってしまっているのである。

 今回の初学者向けのノウハウをご伝授いただくにあたっても、我々が、研究というものを進めるにあたって、何を前提にしているのかということに目を向ける必要がある。例えば、社会構成主義者が言うように、我々はしばしば

まずは世界が存在していて、しかるのちに、それを人間が知覚する

ということを当たり前の前提として、科学的心理学の研究を進めるが、本当にそれでよいのかという議論がある(こちらにも引用したように、他にもいろいろな前提がある。議論を交通整理するために意図的に設定した前提もあれば、研究者が知らないうちに使っている暗黙の前提もある。そういう前提を置くことの是非を疑いつつ
  • 実験的方法はどういう場面で有効なのか
  • 言葉を拠り所にした面接調査法や質問紙調査法で何が分かるのか、何は分からないのか
  • 行動観察において、何をどういう基準でカテゴライズするのか。
  • 行動をとりまく環境はどのように把握していけばよいのか
といった問題を、研究に課せられた要請(ニーズ)に合わせて考えていかなければならない。




 さて、田垣氏は、基調講演の最初のところで

研究する人の最低限の役割:現象を現とによって「論理的に(logical)」に記述すること

と指摘された。この「論理的」というのは「理論的」の誤植ではない。要するに筋道を立てて議論することであるという。このことは大切であると思うが、では論理的とは何か、ということになると結構難しい。けっきょく、上に挙げたような前提に関わってくるのではないかと思う。

 例えば、純粋に演繹的な論理であるなら、前提さえ確認すればそこから機械的に定理が導かれる(数学の証明と同じ)。いっぽう、帰納的な推論であるなら、ある部分は確率的な議論にならざるをえない。

 田垣氏はまた、「Empiricalな研究とは」ということについても説明された。「Empirical」は「実証的」ではなくむしろ「データに基づいた」と訳すほうが適切であるそうだ。とはいえ、「データに基づく」というのも、それを、仮説の検証に使うのか、仮説と矛盾しないデータの例示として扱うのかでは議論の展開が変わってくる。

 次回に続く。