じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 行きつけの花屋で3月上旬に買ったアニソドンティア・マルバストロイデス(Anisodontea malvastoroides)。霜の心配が無くなったあとアパート階段に置いているが、ずっと花を咲かせ続けているところがスゴイ。アオイ科アニソドンティア属の非耐寒性常緑低木。肥料切れと冬の寒さに気をつければ1年中咲き続けるらしい。オススメ。


4月29日(土)

【思ったこと】
_60429(土)[心理]ライフスタイルを変えるという意味(1)

 4月25日の日記で「奥田・経団連会長の世界一周の夢」という話題を取り上げた時にネット検索をかけていたら、「ライフスタイルの変革」を含む記事がいくつかヒットした。その趣旨は、こちらにも記されている通りであり、要するに、経団連としては
地球温暖化問題については、「企業による技術革新と国民のライフスタイルの変革などによって、温室効果ガスを削減できる」として、環境税の創設には反対である
という主張をつらぬいている(2004年10月時点)ということらしい。いっぽうその際に小池環境大臣も「個人や事業活動のライフスタイルをいかに変えるかが重要であるとした上で、環境省は「脱・温暖化社会」と「循環型社会の構築」の2つを柱にしていると説明した」と挨拶されたという。

 「環境税導入」か「ライフスタイルの変革」かという二者択一型の議論が妥当かどうかは別として、とにかく今の世の中、ライフスタイルがキーワードになっていることは間違いない。




 ではそもそもライフスタイルとは何か。Googleで検索したところでは
  • 消費者の生活態度、生活様式のこと。
  • 活動、興味、意見などに現れるそれぞれの生活パターンのこと
  • 生活の様式 その人間の人生観、価値観、アイデンティティを反映した生き方
といった定義がなされているようだ。しかし単に、様式を分類したからといって
  • なぜ、生活様式に違いが生まれるのか。
  • 特定の生活様式はどのようにして維持されているのか。
  • 何がきっかけとなって生活様式が変わるのか。
といった問いに答えたことにはならない。

 じつは先日も「長期的な視点で行動を捉える」というタイトルの原稿を書いたばかりであるが、「ライフスタイル」と呼ぶべき、一連の一貫した行動スタイルの仕組みについて検討する必要があることを最近ますます感じつつある。これなくしては、地球温暖化問題、廃棄物処理問題、省資源化といった現代社会の至上命題を解決することは不可能であろうと思う。

 価値観の多様性がいかなるものであれ、地球規模の環境はどうしても守っていかなければならない。価値観がどうあれ
  • クールビズやウォームビズに協力する
  • ゴミの分別収集に協力する
  • 自家用車ではなく公共交通機関を利用する
といった行動を増やしていく必要があることは言うまでもないところであるが、これらを個々の行動の強化や弱化という結果随伴だけでコントロールしていくことには限界がある。なぜなら、望ましい行動を正の強化だけで形成しようとしても、利便性(=「面倒なことはしない」、「それを守らなくても目先の不利益は何も生じない」など)によって自然に強化される反環境的行動を減らすことは簡単にはできないし、また、望ましくない行動を罰的に統制しようとしても必ず抜け道(=「人に見られていなければ分別せずにゴミを捨てる」、「資源再利用目的と偽って不法投棄する」など)ができてしまうからである。

 より有効な手だては、「環境にやさしいライフスタイル」のもとで、その基準に合致する行動を自然に強化することである。そのような点から言えば、断片的な行動強化ではなく、「スタイル」という一貫性した行動が強化されるような社会的な随伴性の仕組みを整備していく必要があるように思う。




 最近特に注目しているのは、この「スタイル」というのは、結果的に分類されたパターンではなく、自律的な強化システムを含んでいるのではないかという点である。

 例えば、食品スーパーのレジ袋を受け取るか、自前の買い物袋(籠)に入れるかという問題をかんがえてみよう。「断片的な強化」としては、レジ袋を受け取らない客にポイントを贈呈し、ポイントが貯まったら商品券に交換する、といった対策が考えられる。しかし、この方式だけでは、相変わらずレジ袋を受け取る人たちをゼロにするわけにはいかない。いっぽう、ある種のライフスタイルをとる人たちは、ポイントサービスがあろうとなかろうと、最初から自前の買い物袋(籠)を利用するだろう。

 ゴミの分別も同様である。罰的統制を強めても、夜中にこっそり捨てたり、燃えるゴミの袋の中に不燃ゴミをこっそり入れるという行為はそう簡単には無くならない。しかし、ある種のライフスタイルが確立すれば、そのような行動は自律的に弱化される。

 これまで私は、目的論的行動主義(Teleological behaviorism)からは比較的遠い立場をとってきたが、連休後半は、

Rachlin, H. (2000). The science of self-control. Cambridge, MA: Harvard University Press.

あたりをちゃんと読み直してみようかと思っているところだ。