じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
サムネイルでは分かりにくいと思うが、これは「山羊も直立する」という証拠?写真。前足で枝に掴まっているようにも見えるが、見えなかったことにしておこう。
ヤギは笑うという写真はこちら



10月29日(日)

【思ったこと】
_61029(日)[教育]高校で地歴を必修にする必要はあるのか?(6)高校教育、経験値制のススメ

 昨日の日記の続き。

 「履修漏れ」発覚に関連して5回にわたって考えを述べてきたが、本連載はいちおう今回をもって終了、大きな状況変化があれば再開ということにしたいと思う。

 さて、今回の「履修漏れ」騒動は、未履修科目の成績を偽装するなど、耐震強度偽装と同根の問題を含むいっぽう、高校教育のあり方についていろいろな問題を投げかけている。私が特に強く感じるのは以下の問題点である。
  1. とにかく、詰め込みがひどすぎる。固有名詞を大量に含むような知識を詳しく覚えさせようとすればするほど、高校生の、せっかくの柔らかい頭脳は硬直化し、また、当該科目を嫌いにさせてしまう恐れが大きい。
  2. 習熟度の速い生徒にも遅い生徒にも、画一的に履修時間を設定するのは問題。
  3. 必修科目などといっても、60%程度の習得レベル、いや、ひょっとしたら30〜40%程度でも単位を出してしまうというのは大いに問題。もっと内容を簡素化した上で、90%以上の達成を目ざすべきだ。
 というなことから、私がオススメしたいのが「経験値制」の導入である。

 ここでいう「経験値」というのは、ロールプレイングゲーム(RPG)からヒントを得た概念である。学校教育にTVゲームのルールを持ち込むのは不謹慎だという批判があるかもしれないが、何も、教育自体をゲーム化しようというわけではない。ポイント付与の仕組みを活かそうというだけのことである。

 学校での勉強は嫌いな子どもでも、RPGにはまりこむのはなぜか?それは、
  • 努力の量と質に応じてポイントが付与され
  • その累積により、上のレベルに進める
という向上への動機づけの仕組みが行動理論の強化の原理にかなっているからにほかならない。

 では具体的にどんな経験値を設ければよいか。あくまで例示であるが(←これで網羅しているのではなく、こういうものが考えられるという程度の例示として受け止めてほしい)、
  1. 基礎学力経験値
  2. がくもん入門経験値
  3. 特技経験値
  4. 体験経験値
  5. チャレンジ経験値
  6. ふれあい経験値
  7. 生活力経験値
  8. 自己表現経験値
  9. 自立・自律経験値
などが挙げられるかと思う。

 このうち1.の「基礎学力経験値」というのは、中学卒業程度の学力を保証する経験値である。といっても、中学卒業によって機械的に付与されるものではなく、公立高校入試問題レベルで90%以上が正解できた時に限ってクリアできるものとする。高1から半期ごと(←高校もセメスター制にする)に受験機会があり、クリアできるまで何度でも挑戦させる。

 2.の「がくもん入門経験値」というのは、古文漢文、数学、理科、社会、英語などについて、現行のセンター試験90%レベルをクリアした時に、科目別に「レベル1」が付与されるものとする。現行科目のほか、達成度に応じて、近隣大学や放送大学などでも習得でき、また、TOEICなどの外部試験も利用できるものとする。

 3.から5.の「特技経験値」、「体験経験値」、「チャレンジ経験値」は、囲碁・将棋の段位、柔道や剣道の段位、陸上競技の記録、各種球技の公式戦出場などによって獲得されるものとする。

 6.の「ふれあい経験値」は、他者支援、リーダーとしての活躍、地域交流などの度合いに応じて、認定されるものとする。

 7.から9.の「生活力経験値」「自己表現経験値」「自立・自律経験値」は、さまざまなソーシャルスキル、プリゼンテーション、経済の仕組みについての知識、日常生活スキル、健康や食生活に関するスキルの習得の度合いに応じて付与されるものとする。

 これらが一定レベルをクリアした時に「高校卒業」を認定するようにすれば、大部分の生徒は、エンディングに向かって邁進するようになるのではないか。また、ここでの高校の先生の役割は、「教え込む」ことではなく、生徒各自の得意分野を見つけ、経験値獲得を手助けすることにある。




 最後に問題となるのは大学受験とのリンクであるが、上記の2.の「がくもん入門経験値」獲得の部分を高大連携でサポートし、ある専門分野で経験値が一定レベルに達した生徒は自動的に入学できるようにすれば、入学試験に伴う合否のリスクは消滅し、受験技術ではないホンモノの学問に接することができるのではないかと思う。