じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 昨日の日記にも記したように、8月28日夕刻から夜にかけて皆既月食があった。
  • かけ始め:17時50.9分(月出の前)
  • 皆既食開始:18時52.0分
  • 皆既食終了:20時22.7分
  • かけ終わり:21時23.8分
 私の住んでいる岡山地域では夕刻には薄雲が多く、皆既食開始までの欠けていく様子は観察することができなかった。

 その後、20時すぎになって、皆既食中の双眼鏡で赤黒い月をかろうじて確認。20時17分〜19分頃に、雲の切れ間から、皆既食終了直前の様子を撮影することができた(写真左)。終了直前であるため、下側の部分(東側の部分)が三日月型に明るみを増している。

 夕食後の散歩中には、いったん、2ミリの雨が降り、雨が止んで再び姿を現した21時38分には写真右のような満月に戻っていた。半影食(←月面から見ると、太陽の一部がまだ地球に隠されている状態)がまだ継続中のせいだろうか、ふだんの満月(←デジカメで撮ろうとすると明るすぎて真っ白な円盤に写ってしまうことが多い)に比べると、表面の地形がくっきり撮れているようにも見える。



8月28日(火)

【ちょっと思ったこと】

朝青龍帰国の目的は治療か療養か

 相撲協会から2場所の出場停止や謹慎などの処分を受けたあと解離性障害と診断された朝青龍について、日本相撲協会は28日、臨時の理事会で、モンゴルに帰国しての治療を承認したという。これを受けて朝青龍は、29日午後、成田空港からの直行便でモンゴルへ帰国する予定であるという。朝青龍は、ウランバートルから400kmほど離れた保養地で、家族といっしょに過ごし、温泉治療を受けるなどして、精神面や痛めている腰などの治療にあたるという。

 このことを含めて、最近の一連の報道の中で私がよく分からないのは「治療」、「療養」の使い分けである。念のため、ウィキペディアで検索したところ、
  • 治療:
    • 治療(ちりょう)とは、特に患者の病態を改善し、健康にするため施す医療行為である。
    • 【医療行為との関係】
      医師法第17条「医師でなければ、医業をなしてはならない。」。
      医療行為(いりょうこうい)とは、人の傷病の治療又は予防のために、医学に基づいて行われる行為である。
  • 療養;
    • ウィキペディアには該当項目無し。「転地療養」については「住み慣れた土地を離れて別な環境に身を置き療養すること。治療方法の一種。」、「転地療養に要する費用は、医療に要する直接の費用に当たらないため、税金の医療費控除の対象とはなり得ないとされている(ただし、遠隔地への療養所等への入院、温泉利用型健康増進施設の利用費等は別である)。 」という記載あり。
などと記されていることが分かった。

 医療として行う治療と言う場合には、医師や医療関係者が法律で許容された範囲で行われる医行為のことをさすもの、いっぽう、療養という場合には、もう少し、定義の幅が広く、医師が関与しない療養もあるし、急性的な疾病や怪我の集中的な治療の後、健康体への回復を目ざして行う場合も含まれる、というのが、私の素朴な理解であったが、上記の定義は若干異なっている部分もあるようだ。

 しかし、まず、医師により、医行為としての治療が行われ、その成果をみた上で中長期的な療養に入るというのが、一般的な健康回復のプロセスであるように思える。

 8月23日付けの毎日新聞に「朝青龍:本格的治療始まる 都内のホテルで投薬など開始」という見出しの記事があったが、「睡眠導入剤と精神安定剤服用」が本格的治療と言えるのかどうかも疑わしいし、そもそも「サッカー仮病疑惑」と批判されるからには、まず第一に診断書そのものの信憑性について担当医師の責任を追及すべきである。

 今回の朝青龍騒動では、包茎治療の権威や肛門を専門とする医師も関わっていると聞くが、「解離性障害」についてどの程度の診断・治療実績があるのか、ぜひ知らせてほしいものである。

 8月21日の日記8月2日の日記にも記した通り、朝青龍関自身については、私はむしろ気の毒であると思っている。今回の騒動の一番の問題は、むしろ、診断や治療をめぐる医師たちへの信頼性、さらに大きく言えば、「心の病」に対する医療のあり方に関わるものであると私は考えている。





死刑制度の凶悪犯罪抑止効果

 昨日の日記で、改造安倍内閣に関連して

10カ月余りの間に10人の執行命令書に署名した前法相(←別の問題ではいろいろ批判されたようだが)の行為は評価されるべきであると思う。

と書いたが、新しく就任した鳩山邦夫法相は27日夜、法務省で記者会見し、
死刑制度について「凶悪犯罪の未然防止に果たす役割は大きい。死刑制度をなくせという意見にわたしはくみしない」と述べた。さらに「死刑を科すと裁判所が判断すれば、わたしは重んじる」と語り、状況に応じて死刑執行命令書に署名する。
と表明したという。これは大変けっこうなことであると思う。

 死刑制度が凶悪犯罪の未然防止に果たす役割が大きいかどうかについては、もちろん、賛否両論がある。死刑制度のある国と死刑廃止の国では、死刑制度のある国のほうが凶悪犯罪発生率が高いという統計もあろうかと思うが、それぞれの国では社会事情も異なる。凶悪犯罪が多いので、結果的に死刑判決が多いという場合もあるし、逆に凶悪犯罪が全くおこらないので死刑制度は不要といこともあり、因果関係だけで是非を論じるには限界があると思う。

 もっとも、殺人事件を引き起こしてしまった共犯者の一部が、死刑になることを恐れて自首する可能性があるという点では、事件の早期解明や、殺人犯が自首せずに更なる凶悪犯罪を犯す恐れについての抑止効果は大きいと思う。数日前、名古屋市千種区自由が丘の路上で女性が見ず知らずの男性3人に拉致殺害され金を奪われるという、きわめて凶悪な犯罪が起こった。伝えられたところでは、この種の事件は、、犯行後の25日午後1時半ごろ、容疑者の一人が県警の総合当直に通報し発覚したと言う。その容疑者は「死刑が怖くて自首した」と話していると伝えられている。またその一方 、この容疑者の男たち3人はさらに金を奪おうと、犯行翌日の25日も別の複数の女性を襲う「第二の犯行」を計画していたことも分かっているという。

 まことに残念ながら、第一の犯行はすでに起こってしまったが、第二の犯行が未然に防げた一因は、「死刑が怖くて自首した」という容疑者の行動にあったわけで、その意味では、死刑の抑止効果が働いたと言えるかと思う。但し、単に自首したというだけで死刑を免れるというのであればこれまた問題。このあたりは裁判所の判断に委ねられることになろう。