じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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昨年12月21日から開始された岡山大学・時計塔(図書館)の耐震補強工事がほぼ終了し、4月5日の午前中にシートが外された。工事前に比べると全体に色の濃いタイルが貼られており、また、時計の下部に岡山大学のマークが取り付けられている。このほか、黒正巌(こくしょう・いわお)先生像の前にあった円形の池(防火用水?)が撤去され、芝生が植え込まれている。



4月5日(土)

【思ったこと】
_80405(金)[心理]「しなければならないことをする」と「したいことをする」(12)負の強化にもとづくポジティブな人生の実現(3)

 昨日に続き、Malott(2005)の論文で指摘されているいくつかの興味深い点について考えを述べていくことにしたい。

 まず、注目すべき第一の点は、形式上は「行動→好子(正の強化子)」という「好子出現の随伴性」で維持されているように見えるケースでも、

●1回の行動に随伴する結果が小さすぎたり(累積的にしか意味がない)、確率が低すぎる

というような状況においては、回避もしくは逃避の随伴性が働いているという指摘である。例えば、工場の生産ラインにおいて、欠陥品ゼロという良好な状態が13週間続いたら従業員一同をディナーに招待するという随伴性が設定され、これが功を奏して品質が向上したとする【長谷川のほうで原文の内容を一部改変】。これは、形式上は

13週間にわたり注意深く作業をする→好子出現(ディナーに招待される)

という好子出現の随伴性が働いているように見えるが、長期間遅延後の1回限りの「大きな結果(←ディナー)」だけで行動が強化されることはあり得ない。実際には、

●注意深く仕事をしないと、ディナーに招待されるという機会が失われる

という「サドンデス」の好子消失阻止の随伴性によって「嫌悪的」に統制されているのである。

 この事例に限らず、我々の日常生活行動において、形式上は「好子出現」であるように見えて、実際は「好子消失阻止」もしくは「嫌子出現阻止」によって維持・強化されている行動はきわめて多い。そもそもスキナーが来日講演で指摘した産業労働の実態:
企業において仕事を駆り立ててているのも実は罰的なものです。賃金は報酬の一種と考えられていますが、実際はそうではありません。賃金労働者は週給で生活していますが、解雇されれば生計はたちません。月曜日の朝働くのは週末に支払らわれる賃金のためではなく、働かなければ解雇されるからなのです。ほとんどの組織のもとでは、労働者は何かのために働くのではなく、何かを失なうのを避けるために働くのです。
がまさにそうであると言える。受験勉強なども、大学に入ってからの夢を実現するために勉強するというよりは、不合格という嫌悪的事態の出現を阻止するために頑張るという人のほうが現実には多いように見える。この連載の1回目(1月23日の日記参照)で提起した
  • どういう場合に「したいこと」、どういう場合に「しなければならないこと」になるのか
  • したいこと」がどうして「しなければならないこと」に変化してしまうのか
という疑問に対してもマロットの「先延ばしが起こる原理」は、ある程度の答えを示しているように思える。すなわち、

1回の行動に随伴する結果が小さすぎたり(累積的にしか意味がない)、確率が低すぎる

という場合には、何らかの「阻止の随伴性」が働いていて、そのことが「しなければならない」状況を作り出しているのである。さもなければその行動は、長続きせず、途中で頓挫したり、長期間ほったらかしにされたりするのである。


 次回に続く。