じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
岡山大学構内のお花見(26)スイセンノウ(酔仙翁、フランネルソウ)。10年以上前から、時計塔前の広場一帯に生えている。1999年5月31日の日記に開花記録あり。
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【思ったこと】 _80526(月)[心理]いまどきの地域通貨(4)ボランティア活動と地域通貨 昨日の日記で、高齢者福祉、あるいは、お年寄りと若者との交流を強化する手段としての地域通貨の役割にふれたが、この問題は、ボランティア活動一般の行動原理とも深く関わっている。 この問題については、2000年10月8日や、2002年11月2日の日記で取り上げたことがある。ここで同じことの繰り返しは避けつつ、もっと単純に、ボランティア活動を活発にあたって、地域通貨のようなタンジブル(tangible)な数値指標、あるいはトークンのようなものが必要かどうか、もう一度考えてみることにしたい。 まず、ボランティアの一般的定義だが、『新明解』(第六版)では ●ボランティア:自由意志をもって社会事業・災害時の救援などのために無報酬で働く人(こと)。 と定義されている。ウィキペディアの当該項目ではもっと詳しく解説されている。少々長くなるが、今回の話題に関係のありそうな部分を引用すると、以下のようになる(2008年5月27日時点の記述。下線、段落、箇条書き構成は長谷川のほうで改変)。 特徴上記のうち、「一般交換理論」が妥当であるとするならば、ボランティア通貨としての地域通貨は、大いに有用であろうということになる。しかし、現実にはそのような活用例が少ないことからみて、それがボランティアの主要な動機になっているとは考えにくい。 もっとも、ボランティア通貨を貯めたり、ノートに記録するという行為は、必ずしも「最終的には巡り巡って自分にも利益...」を目的とするものとは限らない。そのような通貨が増えるということは、ある意味では自己実現の数値表現、RPGゲームに喩えれば「経験値」の蓄積のようなものと考えることもできるだろう。 このほか、「仲間意識」、「連帯感」、「協働の喜び」などを求めてボランティア活動に参加する人がいる。行動分析学的に言えば、これらは、社会的好子であり、それだけで十分に強化力があるならば、ボランティア通貨的な好子の付加は要らない。もっとも、この場合も、参加を始めるにあたっての気恥ずかしさ、尻込み等を打開する手段として、ボランティア通貨を「行使する」、「稼ぐ」という形できっかけをつくることはあり得る。但し、この場合の「通貨」の効果は、新しくできたお店が試食券や割引券を配るのと同じようなレベルであって、最初の呼び水として機能したあとはお役御免ということになる。 地域通貨の行使が、ボランティア的な活動に限られていたとすると、そこには「使っても使わなくてもよい」という任意性が生まれる。つまり、何かのサービスを緊急に必要とする人が地域通貨を使おうとしても、それに応じる人が直ちに現れるとは限らない。もちろん、いくら自由意志に基づいて無報酬で働くなどと言っても、ボランティア活動をいったん開始した以上は、それなりの役割と責任を負うことになり、イヤになったから突然投げ出すというわけにはいかない。しかし、その責任が重くなればなるほど、義務的な奉仕活動の色合いが強くなってくる。またその場合は、「もし私が○○という行動をしなかったら、大変な事態になってしまう」という、嫌子出現阻止の回避行動として遂行されることになり、もはや、地域通貨の付加は不要となる。このことは、「したいことをする」と「しなければならないことをする」という議論(投稿中の紀要論文参照)に関わってくる。 そんなこともあって、地域通貨はいっぱんに有効期限が明示されており、貯めるよりは使うことが推奨されている。とはいえ、有効期限切れになることがそれほど嫌悪的でなく、大した損失を被ることもないのであれば、マロットがよく言う「行動の先延ばし」現象が生じてしまう。 次回に続く。 |