じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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生協食堂前のクリスマス電飾を昨年と比較。別段設計図があるわけでもないと思うが、主要なアイテムは同じ位置に設定されているようだ。 |
【思ったこと】 _91218(金)[心理]パーソナリティーの時間的変容を捉える試み−対話性と自己からの検討−(13)筋ジストロフィー患者の主観的QoL―対話的自己からの検討― 昨日の続き。 今回は、3番目のF氏の「筋ジストロフィー患者の主観的QoL―対話的自己からの検討―」という話題提供について感想を述べることにしたい。 S氏によれば、この話題提供は、 機能の低下・欠如を問題にするのではなく、「その人らしさ」を捉え、時間的経緯を記述する価値のある存在としての難病患者を対象としたところにユニークな点があるという。 この研究では、アイルランドの心理学者Ciarran O’Boyleらの研究グループに作成されたQoL評価尺度である「SEIQoL-DW」という評価法が用いられた。 QOLは一般に、保健医療の有効性や効率性を評価する基準として重視されているが、難病患者の場合、少なくとも機能面においてはしだいに身体機能が低下していく。それゆえ、客観的な身体機能を評価基準とする限りは、QOLは悪くなる一方であるように推移してしまう。しかし、個々人の生きがいや楽しみに関わる主観的なQOLは必ずしも身体機能の低下に比例して衰えていくわけではない。私自身も、過去に患者さんを取材したドキュメンタリー番組などをいくつか拝見したことがあるし、また、ずいぶん昔のことになるが、こちらの方とメイル交換をさせていただいたことがあった。 さて、「SEIQoL-DW」では、
認知症などで自己評定が困難になっている人を別とすれば、この「SEIQoL-DW」はきわめて有望な評価法であると期待される。 このことについてはフロアから、研究の進め方が「初めにSEIQoL-DWありき」になっているのではないかという指摘があった。もっともな指摘であるが、この研究が某プロジェクト研究の一環として、特定の使命をもって遂行されている以上は、そのような制約もやむを得ないのではないかという声もあった。また、指定討論者者のKa氏からは、上記2.の段階で「どうしてもQueが5つ挙がらない場合」に「リストを参照する。」という対応がとられているようだが、本当はQueを挙げられないことのほうに意味があるのではないかというご指摘もあった。また、高齢者研究では、主観的な幸福感のモデルも提唱されているというご指摘もあった(参考記事がこちらにあり)。 このほか、この研究が時間的な流れを追っているとはいうものの年に1度の調査にとどまっているため、変容のプロセスが辿りにくいのではないか、という印象もあった。 話題提供の後半ではナラティヴ・ベイスド・メディスンの課題点として「医療者と患者の対話が成立しない」、「実際のQoL研究は数値を重点とした医療者の物語で語られる」などが挙げられ、さらに、オープン・システムの視点の導入が論じられた。SEIQoL-DWは、医療者の物語と生活者の物語の両方の視点をつなぐ対話となり、「医療の具体的な介入指標になる医療化された患者を病いを抱える生活者として再構成する」という意義があるという御主張であったが、話題提供の時間が限られていたため、残念ながら、このことについての突っ込んだ議論は行われなかった。今後の論文発表に期待したい。 ということで、今回をもって自主企画シンポの感想は終わりとさせていただく。 |