じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 2009年版・岡山大学構内の紅葉(28)「落ちないアメリカフウ(モミジバフウ)」の近況

 「落ちないイチョウ」とともに、岡大七不思議の1つに数えられている「落ちないアメリカフウ(モミジバフウ)」。この時期は、他の樹が殆ど落葉したため、ひときわ鮮やかに見える。


12月17日(木)

【思ったこと】
_91217(木)[心理]パーソナリティーの時間的変容を捉える試み−対話性と自己からの検討−(12)よそおう行為

 12月15日の日記の続き。

 今回は、2番目のKi氏の「よそおう行為の時間的変容について ―対話性と自己の観点から―」について感想を述べることにしたい。

 S氏によれば、Ki氏の話題提供は、
化粧を静的な類型として捉えるのではなく、場所(トポス)を考慮することで、日常的に微細に移ろう「その人らしさ」に肉薄する
という点で意義があるというご紹介であった。また、後述のF氏の話題提供を含めて、いずれの研究も
人の理解を変数に還元せずに行うためのヒントがこれらの研究とその姿勢に存在するだろう
と位置づけておられた(いずれもスライド画面からのメモ)。




 「化粧研究」については、私のゼミでも、某学生が
  • 神山(2009).変身の消費者心理.
  • 坂井(2009).人は他人を服装によって判断しているか?―TEG-Uを用いて先入観の形成を測定する―
  • 金子・門脇(2001).外見の印象―髪型が性格のイメージに及ぼす影響―.
といった論文のリビューを行っているが、S氏によれば、これらはいずれも人の理解を変数に還元するタイプの研究であった。今回のKi氏は、調査対象者はわずか2名に限られており、その2名の「その人らしさ」に焦点を当てるという点で、大きな違いがあった。

 もっとも、単に相手や時や場所によって化粧を変えるというだけであれば、行動分析学で言うとことの確立操作、弁別刺激、好子出現随伴性の違いによっても十分に説明ができる。
よそおう行為が,単に外見を変化させるだけでなく自己の内面をも変化させ、それによって、社会的役割を変化させる
というご趣旨の中で問題となるのは、「自己の内面をも変化させ、それによって、」という部分であろう。行動分析学的視点から見ても、外見を変化させることで、周囲から自分に向けられる行動が変わり、そのことが社会的役割を変化させることは十分に予見できる。但しその場合、「自己の内面をも変化させ、それによって、」というくだりは必ずしも必要ない。あるからして、今回のシンポのテーマから言えば、「対話性」と「自己」という2つの視点からどこまで解釈ができているのかに焦点が向けられることになる。

 話題提供の中では、バフチンの議論(Bakhtin,1988)における「宛先」が取り上げられていたが、この部分については勉強不足でよく分からない。単に化粧の結果を示威する相手や場所ということであれば、これはやっぱり、弁別刺激と確立操作と強化機会の違いに帰属できてしまうようにも思える。あと、青年期と中年期の女性のインタビューの比較がなされた部分があったが、この2人が青年期と中年期の類型ということでは必ずしもないし、対象者2人の生活環境ほか様々な差異が反映しているようにも見える。中年期の対象者1名の中で変化を追ったほうが良かったのではないかという気もした。

 余談だが、私自身は自分ではもちろん化粧しないし、妻が化粧してもからかうばかりでちっとも肯定的に評価しない。誰であっても素顔で十分。見苦しくない格好であればそれでいいと思っている。ということもあって、私自身は化粧はカネと時間の無駄で所詮自己満足、そのヒマがあったら深い教養と信頼関係の醸成に努めるべきだなどと妻に演説するばかりであって、今回取り上げられた対象者の方々の行動の意味づけについては、いまひとつ理解できないところがあった。

 不定期ながら次回に続く。