じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2011年版・岡山大学構内でお花見(13)コブシの蕾に囲まれるヴィーナス像 |
【思ったこと】 _b0324(木)今回の大地震について思ったこと(12)宮澤章二さんの詩、ACの八百長啓発?キャンペーンほか まず、この日記執筆時点までのNHKオンラインのニュース項目は以下の通り。
このほか、24日夕刻の時点では「24日午後0時10分ごろ、福島第一原発の3号機のタービンがある建物の地下1階で、ケーブルを敷く作業をしていた東京電力の協力会社の20代から30代の男性作業員3人が被ばくしました。」というニュースが大きく取り上げられていた。このニュースに限らないが、原発事故の時に毎回のように登場するのが「協力会社」である。ウィキペディアの当該項目では「協力会社(きょうりょくがいしゃ)は、企業、官庁などから、専門的な分野の業務を委託される企業。」というように定義されているが、原発に限っては、「本社の正社員では遂行できないような危険きわまりない仕事を請け負う下請け会社」という印象が非常に強い。 さて、3月21日の日記で、ACジャパンによる啓発型キャンペーンの話題を取り上げたが、最近、震災関連に特化した新しいCMが流れるようになってきた。ネットニュースによれば、そこで使われた詩が注目を集め、詩集に注文が殺到しているという。具体的には、金子みすゞさんと宮澤章二さんであり、いずれも故人。このうち金子みすゞさんについては、以前からお名前を聞いたことがあったが、宮澤章二さんのほうは全く存じ上げていなかった。ネットで調べたところ、ジングルベルの訳詞者のお一人であるとか。但し、この歌は、他に庄野正典氏、堀内敬三氏、音羽たかし氏によっても訳詞されており、かなりの違いがある。ネットで検索したところ、宮澤章二さんの訳詞一番は 走れそりよ 風のようにとなっており、いっぽう、堀内敬三さんの訳詞一番は 野を越えて 丘を越えであるそうだ。この歌は幼稚園の頃に習ったはずだが、「ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る」以外の歌詞はすっかり忘れてしまっていて、宮澤章二さんの訳詞で習ったのかどうかは全く判別がつかない。 でもって、今回のACのキャンペーンのほうだが、ネットで検索したところ、『行為の意味』に収録されており、 -----あなたの<こころ>はどんな形ですかという内容であることが分かった。 この内容は、具体的、かつ目に見える行動こそに意味があるという点で、行動分析学の発想ときわめてよく似ているように思える。いくら質問紙調査で<こころ>や<思い>の強さが測れたとしても、それが言語的な表明のレベルにとどまっている限りにおいては自己満足と何ら変わらない。具体的な行動として自発され、成果を上げ、強化されていくプロセスこそに「人が人として生きる」ことの意味があると解釈できないこともない。 余談だが、「AC」のキャンペーンが頻繁に登場するようになった時に、私がまず連想したのは「アクセプタンス&コミットメント・セラピー」であった。このセラピーにも何となく共通する発想があるように思える。 宮澤章二さんの詩に関連する話題は別として、ACのキャンペーン全体はやはり「しつこい」印象が否めない。24日の民放のニュース番組の中では、わずか3分間程度のCMタイムの中で、仁科亜季子のがん検診啓発キャンペーンやオシム元日本代表監督の脳卒中キャンペーンが続けざまに3回も繰り返された。一週間に一度や二度なら賛同できる内容であっても、短時間に何度も見せられるといい加減ウンザリしてくる。同じく、隠岐の島の相撲が「思いやりで1勝1敗」というのも「国技=八百長相撲」を連想させて気に入らない。(←隠岐の島のことはよく分からないが、一般論として、わざと負けてやるのは決して思いやりではない。正々堂々と力一杯戦った上で、勝っても負けても相手の健闘を称えることが真の思いやりだと思う。) ま、賛否両論いろいろあるとは思うが、とにかく、一面的な価値観を一方的に押しつけられているとの印象は否めない。 全体としては、ACのキャンペーンは「視れば視るほど腹が立つ」ばかりである。とくに、メロディ入りを繰り返し聞かされると、寝ている時にまで耳から離れなくなって熟睡の妨げになる。せめて、完全無音にしてほしいものだ。 次回に続く。 |