じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2011年版・岡山大学構内でお花見(63)夾竹桃 一般教育棟構内のキョウチクトウ。たくさん咲いている様子も、一輪一輪をとっても、見応えのある花だが、猛暑の中ではじっくりとお花見というわけにもいかず、この花が話題になることは少ないように思う。 |
【思ったこと】 _b0721(木)「行動の予測と制御」(1) 昨日までの日記で、7回にわたり、 NHK 仕事学のすすめ! 川口淳一郎 高い塔から水平線を見渡せ! のメモと感想を記してきた。すでに述べたように、「はやぶさプロジェクト」の目的は、科学観測目的ではなくて、技術立証のパッケージということにあった。専門的なことは分からないが、この場合の立証とは、要するに、はやぶさを要請に応じて正確に制御する技術ということになるかと思う。周知のように、はやぶさは途中でいろいろなトラブルがあったものの、最終的に、地球に帰還し、大気圏突入の直前に地球の姿を撮影したあと、カプセルを送り出して燃え尽きた。最期の様子は、動画や写真で広く公開されたため、このミッションが、「制御」という点において成功裏に終了したことが強く印象づけられた。 さて、ここで突然、心理学の話に切り替わるが、「行動の予測と制御」は、はやぶさの制御とどういう点で異なるのだろうか。 ちなみに、この「行動の予測と制御」という言葉は、例えば、 科学としての行動分析は,有機体の行動(従属変数)の予測と制御を目標としており,観察可能な有機体の行動(従属変数)と外界の出来事(独立変数)の間の関係を明らかにしようとしている。というように、行動分析学の基本的な目的として位置づけられている。そのいっぽう、ナイサーは、行動制御が及ぶ範囲には限界があるとし、ある人の行動を予測・制御するには、その人が環境から獲得した情報、それ以上の情報を獲得しておかなければならないというようなことを主張しているという。 もっとも、上述の議論にはかなりの誤解が含まれている。スキナーの言う行動の制御というのは、決定論的な制御ではなく、あくまで、「行動を起こりやすくする」、「起こりにくくする」という確率的な制御にとどまっているのである。特定の場面・文脈に限れば、ほぼ100%の予測ということもあろうが、100%に近づけることは必ずしも努力目標ではない。行動分析学でいう行動随伴性というのは、原理的に言って、決定論的な予測を目ざすものではないからだ。 次回に続く。 |