じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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東西方向のイチョウ並木から朝日と月を楽しむ/巨大「足長じいさん」その2 9月13日に続いて15日早朝にも、東西方向に射し込む朝日と「足長じいさん」の写真を撮影することができた。今回はこれに加えて、ほぼ真西に輝く月齢17.0の月も見えていた。(月の赤緯は赤道より北に偏っているはずだが、地平線より高い位置にあるためちょうど真西にかかっている。) |
【思ったこと】 _b0915(木)日本心理学会第75回大会(2)どこが変なの?日本語・日本人 ―実験認知心理学の結果から考える日本語・日本人の特異性と一般モデル化― 大会第一日目は、日程の都合で午後からの参加となった。この日に拝聴した発表の中で興味深かったのは、 【15:00-17:00】どこが変なの?日本語・日本人 ―実験認知心理学の結果から考える日本語・日本人の特異性と一般モデル化― というタイトルのワークショップであった。 企画者からの趣旨説明に続いて、
発表内容はいずれみ緻密に計画・実施された実験研究であり、一口に言えば、アルファベットやかな文字を実験刺激に組み込む実験では、北米人と日本人の間で結果に質的な差違が出る、これはなぜか、これからどうしましょう、というような内容であった。 発表内容はいずれもたいへん興味深いものであるが、日本人vs外国人、あるいは高齢者と若者の比較(3番目の話題提供)というような群間比較はいずれも、無作為に割り付けられたものではないため、厳密には、実験ではなく観察ということになる。それゆえ、群間で有意な差が見られたとしても、そこから先の解釈は推測にすぎず、しかも一通りにはならない。じっさい、解釈として、
ということで、個々の事例は興味深いものではあったが、この種の研究の目的が、人間に普遍の法則性の探究にあるとするのであれば、言語の影響を受けるような実験刺激はできる限り使わないようにするのが賢明。また、逆に文化差の研究をするのであれば、最初からそれに適した実験条件を設定したほうが生産的であるようにも思えた。さらに、上にも指摘したように、日本人vs北米人というような比較はしょせん(実験研究ではなく)観察研究にすぎず、無作為な割り付けができないという点で限界がある。それよりも、例えば、全体に注目するような訓練を行ったり、記号と音韻を連合させるような訓練を行ったりして、そのような実験操作の中で、反応傾向がどう変容するのかを研究したほうが効果はすっきりと確認できるようにも思えた。普遍性を探究する実験パラダイムの中でたまたま見つかった「文化差?」の原因を1つ1つ探り出していこうとすると、実験操作の組み合わせは無限大に増大し、じつは、当初見いだされた差は、言語の影響ではなくて、日本人と北米人で近視・遠視の比率が異なっていたためであったということにもなりかねない。あるいは、しらみつぶしに要因を検討しようとしてますますシラミが殖えてその泥沼にのめり込んだまま研究者人生を終えてしまうのではないかと危惧される面も感じられた。 次回に続く。 |