じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2011年版・岡山大学構内でお花見(74)シロバナマンジュシャゲ 岡大西門左手の花壇でシロバナマンジュシャゲ(白花曼珠沙華)が見頃となっている。どうやら、某ボランティアが、お盆休みの頃に別の場所(写真右)から移植した株のようだ。 |
【思ったこと】 _b0930(金)日本行動分析学会第29回年次大会(14)許可の随伴性・阻止の随伴性・ルール支配行動:青年・成人臨床事例からの再考(10)学生相談場面の事例から(3) 昨日に引き続いて、本題から少々脱線して、ルール支配行動について追記させていただく。 昨日も述べたように、ルール支配行動に関しては、「行動随伴性を記述したタクト」だけに振り回されているものなのか、もっと曖昧な記述もあるのではないか、という疑問、あるいは、「そのルールの中に示された行動を制御すること」だけがルール支配なのか、についてもう少し考えてみる必要がある。 例えば、火災報知器のところに「緊急時以外はボタンを押さないでください」という注意書きがあったとする。これに従って、火事発生の時にボタンを押したり、平常時にボタンを押さなかったりするのは、ルール支配行動であると言える。しかしなかには、いたずら目的でボタンを押して世間を騒がせようとする者も居るかもしれない。この場合、記述されたルールには従っていないものの、注意書きという言語的な先行諸刺激に左右されていることは間違いないが、これもルール支配というのだろうか。 私自身の指定討論の中でも少しだけ言及したが、じつは、これらの議論の背景には、行動分析学、さらには実験心理学の根本に関わる、 手続的定義か? 制御変数的定義か? という問題が関係しているように思われる。 いっぱんに、科学の世界では、実験者による環境操作(実験者が行うことのできる手続)と制御変数操作(研究対象が実際にコントロールされている要因の変化)の間には、ダイレクトとは言わないまでもかなり密接で、一対一に近い関係があることが前提となっている。もし、実験者の環境操作が、想定される制御変数の操作に何の影響も及ぼしていないのであれば実験は失敗ということになるし、環境操作の効果がきわめて不安定で測定のたびに結果が違ってくるというのであれば、操作不能(あるいは、技術上、適切なレベルに達していない操作)ということになる。 しかし、心理学の場合は、実験者が操作できる諸変数と、操作される側が実際に影響を受けている諸変数とのあいだには、必ずしも対応関係は存在しない。対象そのものは客観的に存在し、観察可能であったとしても、諸変数をどうカテゴライズするのかという構成のしかたが変わってくる場合もあるし、さらに言えば、「観察可能」と言ったところで、観察の方法が何百通りもあれば、どれを採用するのかで観察結果の表現にも違いが出てしまうのである。 元の話題に戻るが、ある人の行動が、どうやらルール支配行動らしいと推測された時に、観察者がとりうる方針は次のいずれかである。
昨日取り上げた「○○のために毎朝神社にお参りしています」というのは、上記1.の立場で言えば、そういうルールが対象者の日々のお参り行動をどこまで制御しているのかという観点から分析をしていくために固定された変数の1つとして利用される。いっぽう上記2.の立場から言えば、そのようなルールが作用しているかどうかは、綿密な観察の過程で結果として判定されることになるのである。 次回に続く。 |